"「施設へ行け」と家を追われた七十五歳、亡き妻の山で見つけた宝" 第1話
えた茶のと枚のパンフレット
横浜の港を見ろす古い宅。そのなだらかな坂の途に、築になる造階建てのがある。 瓦根はのに晒されてしばかり褪せ、玄関の製引き戸はけ閉めするたびにガラガラとい軋み音をてた。しかし、庭先の敷の隙には雑本えておらず、季節ごとに植え替えられたさな野が慎に入れされていた。 このの主である佐伯源次郎(さえき・げんじろう)は、今で歳になる。 若い頃から、町のさな製材所で「挽きて職」として働いてきた。原をにすれば、どこに隠れた節があり、乾燥させた際にどちらへ反るのか、皮にのひらを当てただけで寸分の狂いもなく見抜く男だった。だが本は極めて無で、涯において己の腕をひけらかすようなことは度もなかった。
そんな源次郎の傍らには、いつも妻のふみ子がいた。 ふみ子は信州のいあいの寒でまれ育ち、歳のに横浜の縫製へ集団就職でてきた。職のくにあった製材所で、屑にまみれて黙々と鋸を挽く源次郎の姿を見初め、の交際を経て緒になった。 それから余、はきな諍いつ起こすこともなく、爪にを点すような慎ましい暮らしを慈しんできた。
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の何よりの歓びは、夕暮れに縁側に並んで座り、めかけたほうじ茶をすするだった。 『お父さん、今はお団子を買ってきたのよ』 『そうか』 返事はいつだってかったが、ふみ子はそれで分だった。源次郎が湯呑みを両で包み込み、庭の柿のを眺めながら細める目元の皺を見れば、夫の胸にある温かな謝はに取るように伝わっていたからだ。
だが、その平穏は昨の初、唐突に崩れった。 ふみ子が臓の発作を起こして倒れ、そのまま民病院へと運ばれたのだ。 源次郎は毎、朝から病院へ通い詰めた。バスを乗り継いで片くかかるのりだったが、のものりる朝も、たりとも欠かさなかった。病に入ると、まず窓を細くけて澱んだ空気を入れ替え、庭先から摘んできたさな野菊を輪、を入れた瓶に挿して枕元に置く。それが源次郎の課となった。 しかし、懸命な病も虚しく、季節がからへと移ろうにつれて、ふみ子のさな体は確実に削ぎ落とされていった。
緑の青葉が眩しいの半ば。病のベッドので、ふみ子は微かな力で源次郎の節くれったを握りしめた。 『ねえ、お父さん……のの裏の、覚えてる……?』 源次郎は無言のまま、く頷いた。ふみ子の実は信州の奥にあり、の裏の苔むした岩肌から、たくて柔らかな清が絶えなく湧きしていた。
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ふみ子は幼い頃から、その湧を「甘い」と呼んで誇らしげに語っていたものだった。 『あので淹れたお茶……もう度、お父さんと緒にみたかったね……』 『元気になったら、でけばいい。連れてってやる』 源次郎が絞りすように言うと、ふみ子は泣きしそうなのを堪えるように、い唇を微かに綻ばせた。 『そうね……そうしましょうね……』 それが、妻と言葉を交わした最となった。翌朝のみ始めた空の、ふみ子は源次郎の掌に包まれたまま、静かに息を引き取った。
葬儀のを取り仕切ったのは、歳になる息子の(こういち)だった。 は都内でさな内装事会社を営んでおり、母親の野辺送りの最ですら、喪の胸ポケットから何度もスマートフォンを取りしては、廊で声で商談を続けていた。その妻の麗子(れいこ)は、参列者には如才なくをげていたものの、焼のに何度も腕計の文字盤へと線を落としていた。 そんなとは対照に、通夜の晩、祖母の棺にすがりついて目も憚らず号泣していたのは、の息子で孫の翔太(しょうた・歳)だった。 阪の械メーカーで技術職として働く翔太は、訃報を聞くや否や幹線にび乗って駆けつけたのだった。 『じいちゃん……ばあちゃんの作った卵焼き、もうべられないんだね……』 静まり返った部で、源次郎は肩を震わせる孫の背に、そっとのひらを置いた。
『仕事は丈夫なのか』 『うん……来から、プラント建設の仕事でアジアへ張なんだ。こんなに、じいちゃんの側にいられなくて……本当にごめん』 『仕事なら仕方ない。しっかり励んでこい。俺なら配いらん』 源次郎は、孫に余計な気遣いをさせまいと、無理に元を引き締めて笑ってみせた。それが、嵐のの最の平穏になるとはらずに。