"七〇二号室の秘密" 第3話
百号の扉
第百号棟の敷内は、灯の半分が切れており、濃いが建物の壁面にまとわりついていた。昭の終わりに建てられた階建ての棟が並ぶ団ので、この百号棟だけがから増築された階建ての鉄筋コンクリート造りだった。
エントランスにはオートロックもなく、錆びついた集ポストのいくつかは蓋がれ、投函されたチラシが湿った夜に吹かれてに散乱していた。
遥はコートの襟をかきわせ、古いエレベーターに乗り込んだ。油の切れたワイヤーが軋む鈍い音とともに、鉄の箱が緩に昇していく。階のボタンのランプがチカチカと穏に点滅していた。
チーン、と延びしたベルが鳴り、扉がいた。
廊にると、たい夜が気に吹き抜けた。にはくのバイパスをるのテールランプが赤い帯となって伸びている。暗い共用廊の壁には、等隔に配置された鉄製の玄関ドアが並んでいた。
〇、〇。
突き当たりから番目の部のにち、遥は荒くなった呼吸をえた。チャイムの横の表札入れには、名のかれたプラスチック板はなく、空欄のままだった。
指先がたく張るのをじながら、遥はインターホンのいボタンを押し込んだ。
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ピンポーン。
静まり返った廊に、属質のチャイムの音が響き渡る。秒、秒、秒。
何の応答もない。遥がもう度ボタンにを伸ばそうとしたその、内側からい音がづいてくる気配がした。
カチャリ、と内鍵がれる鋭い音が響く。
続いてドアチェーンがされ、ゆっくりと、塗装の剥げた鉄の扉が側へとかれた。
玄関の暗い灯りを背にして、そこにっていた物の顔を見た瞬、遥は全の血が元から抜け落ちるような錯覚に襲われた。
「……え?」
声にならなかった。
扉の向こうにっていたのは、酒を買いにかけたはずの夫——瀬直だった。
直はぶらではなかった。そのにはコンビニのレジ袋ではなく、ドラッグストアの型の袋が握られていた。袋のからは、真しい歯ブラシや洗顔フォーム、そして女性用の着の包みが覗いている。
直は、目のにつ遥の姿を認めた瞬、顔面から急速に血の気を失わせた。
「は……遥……?」
喉の奥から絞りされた夫の声は、微かに震えていた。
遥は凍りついたまま、言葉を発することができなかった。ので、最悪の推測が猛烈な勢いで組みがっていく。夫が、結婚してまだ目の夫が、妻に隠れて別の部を借りていた。しかもには女性用の活用品。
「浮気……?」
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掠れた声で呟きながら、遥は震えるを突きした。のひらのには、台所で真帆から渡された、あのつ折りの片が握られていた。
直の線がその片に落ちた瞬、彼の瞳に絶望と諦のが広がった。
「真帆さんから……渡されたんだね」
直は力なく目を閉じ、く、い息を吐きした。
「入ってくれ。廊で話すようなことじゃない」
促されるまま、遥はでがり框(かまち)を跨ぎそうになり、慌てて靴を脱いだ。
を踏み入れた〇号は、畳と畳半の続きの取りだったが、そこには「活」の匂いがほとんどしなかった。カーテンすら吊るされていない剥きしの窓。部の隅には、パイプ製の折りたたみベッドが台と、さな製の折りたたみ机があるだけだった。
机の横には、型のスーツケースがつと、ガムテープで封をされていないダンボール箱がつ置かれている。机のには、役所の相談窓でもらうような政の引きと、プリペイド式とわれる見慣れない簡易型の携帯話。そして、その横にのシリンダーキーが本、キーホルダーにつけられて置かれていた。キーホルダーのいタグには、黒い油性マジックで『まほ』とだけかれていた。
遥は部のを呆然と見渡した。
浮気相と甘いを過ごすための隠れではない。
ここにあるのは、最限のレトルト品、ペットボトルの、そしての回りの用品だけだった。
まるで、突発な災害から逃げ延びるために用された、秘密の避難シェルターのような異様さだった。
「浮気じゃないよ」
背で鉄の扉を静かに閉めた直が、遥の背に向けて、弁というよりは懺悔にい声音で呟いた。
「じゃあ……これは何なの? どうしてあなたがここにいるの? この荷物は、真帆さんのものなの?」
遥が振り返って問い詰める。直は机ののパイプ子を引き、力なく腰を落とした。両を膝ので固く組み、のフローリングの継ぎ目を見つめたまま、ぽつりぽつりとをいた。
「ここは……真帆さんが、あのをるのために、俺が半に借りた部なんだ」
「をる……? どういうこと?」
「言葉の通りだよ。真帆さんは……兄貴から逃げるために、ここへ来るはずだったんだ」
半。
遥のので、数字がい鐘のように鳴り響いた。
半もから、直はこの準備をしていた。自分と会い、交際し、入籍に至るまでの期ずっと、直は自分の実のに、警察汰にも等しい刻な庭崩壊がすることをっていたのだ。そしてそれを、今この瞬まで、妻である遥にただの言も告げていなかった。
「全部話して」
遥の声は、自分でも驚くほどたく、鋭く研ぎ澄まされていた。
「何が起きているのか、あなたが何を隠しているのか、全部話してください」