"三年前に署名させた離婚届" 第2話
「ナナ、今は作さんの取材で帰りが遅くなるんだろ? 最寄りの駅までで迎えにくよ」
「そんなの悪いよ。裕だって商社の仕事、激務で疲れてるじゃない。終で帰るし、タクシーもあるから丈夫だよ」
「何言ってるんだよ。する妻に、こんな物騒な世ので夜をで歩かせるなんて、配で居てもってもいられないんだからさ。俺が迎えにきたいんだよ」
仕事でどれほど疲れていても、駅の改札をると、し眠そうな目を擦りながらを振る裕の姿があった。そんな彼の温もりと誠実さを、私はの底から疑いなく信頼していた。このとなら、どんな波がとうともを取りって温かい庭を築いていける――そう信じて疑わなかったのだ。
結婚して目を迎える頃、裕の商社でのキャリアは順調そのものに見えた。社内でも注目される規模なプロジェクトやインフラ事業に携わるようになり、国内のみならず方やへの張が急速に増えていった。の半分くを空けることも珍しくなくなり、がリビングで顔をわせて夕を共にするは目に見えて減っていった。
最初は、ぽっかりと空いた部の広さに寂しさをじることもあった。だが、彼が組織で期待され、責任あるポストを任されている証拠なのだと、自分に言い聞かせて向きに捉えようと努めた。
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私の編集の仕事も相変わらず忙しく、お互いに自したの夫婦として、適度な距を保ちながら支ええばいいのだと考えていた。
しかし、の直というものは、に残酷なほど正確に穏の気配を察する。
張から帰宅した裕の表や態度に、ほんのわずかな、けれど無できない違が混ざり始めたのだ。
「ただいま、ナナ。いやあ、今回の方案件もタフだったよ」
そう言いながらネクタイを緩める裕の目元が、どこか落ち着きなく泳いでいる。私と目をわせるがくなり、ふとした瞬にスマートフォンの画面を覗き込んでは、元に微かな、どこか浮ついた笑みを浮かべる。何気ない常の会話をしていても、彼の識の半分が別の所に漂っているような、捉えどころのない居の悪さ。
本当に、丈夫なのだろうか。
疑いたくはない。あの優しかった裕が、私を裏切るような真似をするはずがない。そうので打ち消そうとすればするほど、胃の腑の底にたい鉛のようなが沈殿していくのを止めることができなかった。
そして、そんな夫婦関係の微細な綻びに追い打ちをかけるように、私の常を絶えなく削り取っていくがいた。裕の母親――私の義母である。
義母は夫をくにくし、女つで裕を育てげたという烈な自負を抱えていた。
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そのはとっくに過保護の域を通り越し、病なまでの息子依へと変質していた。流商社でバリバリと稼ぐ自の息子は、義母にとって己のの最の勲章であり、き甲斐そのものだったのだ。
それゆえに、義母にとって息子の配偶者である私は、切な息子を奪い取った棒猫であり、息子に傅くべき僕に過ぎなかった。結婚当初から、その悪と見しは隠されることすらなく、鋭い棘となって私に向けられていた。
平の昼がり、私がリビングのデスクでノートパソコンをき、著者の原稿チェックに追われていると、事の連絡もなく突然インターホンが鳴り響く。モニターを確認するまでもなく、扉の向こうにいるのは義母だった。
玄関をけると、義母は挨拶もそこそこにがり込み、を鳴らしながらリビングを見回す。
「あら、ナナさん。今もまたおにいるのね。平の真っ昼から、のんきなこと」
「お義母さん、いらっしゃいませ。恐れ入りますが、今は宅勤務のでして、夕方までに初を戻さなければならない仕事があるんです」
「へえ、宅勤務ねえ。でパソコンをカタカタ叩いているだけでお料がもらえるなんて、本当に楽でいいご分よね。そんなので、うちの裕の稼ぎにぶらがって恥ずかしくないのかしら? 主婦業だって、まともにやってるんだか怪しいものだわ」