"母の遺品と千万円の組紐" 第8話
あんなに狂いのない、吸い付くような組み目を組める職なんて、全国を探したっていやしないよ」
「母が……国宝級……?」
俺はを疑った。母の仕事がそんな途方もないレベルのものだったなど、にわかには信じられなかった。
「あんた、本当に何もらなかったのかい?」
さんは呆れたように、けれど憐れむように俺を見つめた。
「幸恵さんはね、京都や座の名だたる老舗呉や、伎の役者衆、名のお敷の奥様方から、『幸恵さんの紐でなきゃ帯が締まらない』って、裏でずっと指名され続けていた本物の名だよ」
「指名……母がですか!?」
「そうさ。表向きはね、ただの趣で着物のほつれを直してる気のいいおばあさんのふりをしてたけどね。本物の世界じゃ、伝説みたいなだったんだよ」
言葉がなかった。
俺がい描いていた「代遅れの芸に縋る寂しい母親」という像が、音をてて崩れっていく。
すみれは飴を舐めながら、議そうに俺とさんの顔を見比べていた。
「ばーば……すごいだったの?」
「すごいだったとも! すみれちゃんのばーばはね、町のから慕われて、頼りにされていた派な職さんだよ」
「すみれ、らなかった……」
「いいんだよ、これからゆっくりっていけば。ばーばの自なら、いくらでも話してあげるからね」
「うん! すみれ、ばーばみたいになりたい!」
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さんは目を細めてすみれのを撫でた。
しかし、その直、ふとい目をしながら、ぽつりと呟いた。
「……でもね。幸恵さん、あんたが京から帰ってきたは、決まって何も元気をなくして寝込んでいたよ」
「え……? 元気をなくす……?」
「そうさ。何があったのかは、が裂けても言わなかったけどね。あんたがたまに顔を見せて帰っていった、いつも座敷でじっとを止めて、寂しそうに溜息をついてた。……でもね、あんたのでは絶対にそんな顔は見せなかった。いつだって、ニコニコ笑ってたよ」
胸の奥に、氷の塊を押し込まれたようなたい痛みがった。
――母さん、そんな古臭いもの、今誰も使わないよ。もっと代にうこと考えたら。
かつて俺が言い放ったあの傲な言葉が、フラッシュバックのように鮮烈に蘇った。俺が帰るたびに元気をなくしていた理由。それは、俺が母の誇りを、き甲斐を、で踏みにじっていたからにならなかったのだ。
い取りでアパートに戻った俺は、すみれを寝かしつけた、真っ暗な部ので仏壇のに正座した。
俺は、母のことを何ひとつらなかった。ろうともしなかったのだ。
を決して、仏壇の扉をけ、埃を払うように丁寧に拭き掃除を始めた。をかし、位牌の奥の暗い空にを差し入れた、指先にい角が触れた。
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奥の段の隅に、さな桐の箱が、隠されるようにして供えられていた。
これまで度も見落としていた箱だった。
取りしてみると、のひらに収まるサイズながら、ずしりとしたみがある。震える指で紐を解き、桐の蓋をそっとけた。
に収められていたものを見て、俺は息を呑んだ。
それは、つの帯留めだった。
極細の絹糸で組まれた見事な組紐が通され、央の属の台座には、顕微鏡で彫り込んだかのような極めて緻密な、桜と流の彫刻が施されていた。宝などついていないのに、属そのものがなを放っている。
そして、箱の底には、枚のさなが敷かれていた。
そこには、見慣れた母の跡で、たった、こうかれていた。
『これを見て、困ったの支えにしなさい』
界が、瞬くに涙で滲んだ。
母は、っていたのだ。
俺がいつか傲さの果てに挫折し、仕事を失い、活にき詰まり、母の遺品を売り払おうと仏壇を漁るが来ることを。すべてを見通したで、母はることもせず、ただ静かに、この箱を遺してくれたのだ。
「母さん……俺がこうなるって、最初から分かってたのかよ……」
返事など返ってくるはずもなかった。涙が粒、畳のに落ちて吸い込まれていった。
物音に気づいたのか、寝からパジャマ姿のすみれが目を擦りながら歩いてきた。
「パパ……なに見てるの? あ、それ……ばーばのとっておきだ!」