"母の遺品と千万円の組紐" 第5話
そんなさなざわめきが、胸の奥底で静かに芽え始めていた。
翌朝も、いつもと変わらない貧しいが始まった。
え切った台所にち、俺はすみれを幼稚園へ送りす準備をしながら、朝の卵焼きを焼いていた。フライパンのでく油を広げ、溶き卵を流し込む。菜箸で器用に巻き、皿に盛り付けて卓へ運んだ。
席についたすみれが箸を伸ばし、卵焼きをかじって、首をかしげた。
「……パパの卵焼き、ばーばのよりしょっぱいね。ばーばのはね、もっとすっごく甘かったよ」
「そうか……ばーばの卵焼き、そんなに甘かったか」
「うん! おに入れるとね、ふわふわでトローンってなるの。すみれ、好きだった」
「トローン、か。パパにはなかなか難しいな」
俺は苦笑いを浮かべた。子供の舌は残酷なほど正直だ。その無邪気な言葉が、もう度とわうことのできない母のを、々しくいさせた。母の料理を最にべたのは、体いつだっただろうか。いそうとしても、い記憶のの向こうに霞んでしまっていた。
「ばーばね、お料理しながら、いつもお紐のお話をしてくれたんだよ」
「紐の話……?」
「うん。お部にね、まあるい糸の玉がいっぱいあったの。赤とか、黄とか、緑とか。すみれが番好きなのはね、青いやつ」
「青い糸か」
「そう! それでね、ばーばが言ってたの。
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『これはね、ばーばが好きな朝のお空のだよ』って」
「朝の空の……」
「うん。ののお空はの糸、お様がてるは青い糸。ばーばはね、毎朝お空を見てから、使う糸のを決めてたんだって」
俺は箸を止めた。
母が糸にそんな名をつけ、空のを映し取っていたなんて、きてきて度も聞いたことがなかった。息子の俺がらなかった母の横顔を、わずか歳の娘がこんなにも鮮に覚えている。
「ばーばのお指、本当に魔法みたいだったんだよ。糸をね、くるくるってかすの。見てるとね、お紐がどんどんくなっていくの。すみれも真似っこしてみたけど、全然できなかった」
「難しかったか」
「うん。ばーばはね、元を見ないで、すみれとお話ししながらでも指だけいてたの」
すみれは誇らしげに、空でさな指を器用に躍らせて見せた。その仕には、確かに母の面が宿っていた。
俺は胸の奥が痛んだ。俺はかつて、母が糸を組む姿を、度でもを止めてまともに見つめたことがあっただろうか。「古臭い」と蹴し、その元から目を背けていたのは、ならぬ俺自だった。
すみれを幼稚園に送り届け、静まり返ったアパートに戻った俺は、園の先から渡された茶封筒をいた。
に入っていたのは、教材費の請求だった。
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印字された数字を見つめ、わずいため息が漏れる。今の俺の財布には、この数千円の費すら致命傷だった。払えるものから払っていくしかないが、その「払えるもの」がもう何ひとつ残っていない。
現実から逃げるように、俺は玄関に積まれた母の荷物の箱をけた。何か売れそうなものはないか、になるものはないか。そんな浅ましいいで箱の底を探った。
には、几帳面に分類された箱が然と並んでいた。
ごとに分けられた絹の糸玉。使い込まれた製の丸台や角台。細いベラや属のり。つひとつの具が、柔らかな布で丁寧に包まれ、切に油で拭き清められていた。何もの歳をかけて入れされてきたものだけが放つ、静かで鈍いがそこにあった。
俺は落ち着かない気まずさを覚えた。
寂しい老の暇つぶしの趣具――そうい込もうとしていたが、目のにあるのは、本物の職が命を削って守り抜いてきた仕事具そのものだった。具の隅々にまで宿るその気迫の正体が何なのか、俺にはまだ分からなかった。
夕方、幼稚園へ迎えにき、帰宅すると、すみれが画用を差ししてきた。
「見て! ばーばのお顔を描いたの!」
クレヨンで描かれた、丸い鏡をかけた老婦の笑顔。拙い線だったが、目元の優しい垂れがり方が、驚くほど母の面を捉えていた。
すみれはその絵を、さなで仏壇のにそっと供えた。
「ばーば、またお紐の作り方教えてね。