"妻の事故と、五歳の娘が見抜いた嘘" 第13話
公衆話からの叫び声
季節が巡り、桜の蕾が膨らみ始めたの旬。 介が会社での期末処理を終え、午過ぎにを幼稚園へ迎えにった帰りのことだった。 所のスーパーで夕の買いしを済ませ、ビニール袋を提げた介のをがしっかりと握りしめて、先の柔らかな夕暮れの歩を歩いていた。
ジリリリリ、ジリリリリ。
歩の脇、古びた酒の先にぽつんと置かれた緑の公衆話が、けたたましいベルの音を鳴らした。 普段なら気にも留めずに通り過ぎるところだったが、がすぐ横を通りかかったまさにその瞬、受話器が置かれたフックがカチャカチャと激しく揺れ、ベルが狂ったように鳴り響いたのだ。
「うわ……びっくりしたですね、お父さん」 がをすくめて介の背に隠れる。 介は眉をひそめ、公衆話の受話器を瞥した。通り過ぎようとしたその、ふと、ポケットののスマートフォンが同にバイブレーションを震わせた。 画面を見ると、「非通設定」。 公衆話のベルと、元のスマートフォンの振が、完全に同期していた。
胸の奥に、たい嫌悪がった。 介はのを優しく撫で、「、ちょっとここで待っててね」と言い含めると、を決して公衆話の受話器をに当てた。 「……もしもし」
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受話器の向こうから聞こえてきたのは、荒い息遣いと、男に鳴られているような雑音、そして――かつて聞き慣れた、狂気に満ちた女の掠れ声だった。
『だ……介……!? 介なのね!? お願い、切らないで! 話を切らないでぇぇっ!!』
咲だった。 その声は、かつてのような甲さや傲さは完全に消え失せ、飢えと恐怖で喉を潰した獣のような、おぞましい響きを帯びていた。
「……何の用だ。弁護士を通じて、僕たちへの接触は切禁止されているはずだろ」 介は淡に言い放ち、すぐに受話器を戻そうとした。
『待って! 頼むから聞いて! もう限界なのよ……!』 咲は泣き叫び、受話器の向こうで激しく咳き込んだ。 『マサのやつ、事故の賠償の取りてに耐えきれなくなって、先週私を置いて逃げしたのよ! 賃も払えなくて、アパートを追いされたの! 今は……今はね、リハビリ施設の裏の、段ボールを敷いたプレハブに転がり込んでるのよ……!』
背景から、ガタンと何かが倒れる鈍い音と、くで鳴り散らす男の声が混ざりって聞こえてくる。 『半がかないのよ!? 子を漕ぐ腕もパンパンで、痛くて……ご飯も、炊きしのたいおにぎりしかべてないの! ねえ介、あんた言ったじゃない! 私が歩けないならになってくれるって! お願いだから迎えに来てよ! ちゃんに会わせて! 私、ちゃんの母親なのよぉぉっ!!』
自業自得の果てに転落した女の、あまりにも浅ましく、勝極まりない願。
かつて夫のを踏みにじり、歳の娘を放置して倫旅に興じ、のに突っ込んでを破滅させた女が、今になって「母親」という記号にしがみついている。
介はりすら湧かなかった。 ただ、を見るような徹なだけが、胸の奥底を静かに満たしていた。