"雪の空港で消えた四人と第七格納庫" 第15話
犯ではなく、被害者の名を
黒田事件の資料は、そのも全国の警察へ共された。に残された記、写真、アクセサリー、類、カセットテープ。どれも黒田にとっては自分の過を保するための物だったが、警察にとっては失われていた被害者の元を取り戻すための掛かりとなった。
野が最もく識したのは、報のあり方だった。
事件が公になると、テレビや雑誌は黒田信司の異常性を競うように取りげた。
「史最悪の空港連続事件」
「35秘密を守った男」
「の犯罪コレクション」
刺激な見しが並んだ。
しかし野は記者会見のたびに同じことを繰り返した。
「黒田の物像より、被害者の名を報じてください」
犯のを過度に詳しく紹介することは、本が望んでいた「歴史に残る」という願望をかなえることにもなりかねない。
それより、被害者がどういうだったのか。
族がどれだけく探したのか。
なぜ当の捜査では見つけられなかったのか。
そこに焦点を当ててほしいと求めた。
その姿勢は族たちにも支持された。
佐藤理の姪・茜は記者にこう話した。
「私は理おばさんに会ったことがありません。でも族からずっと聞いて育ちました。おばさんを、犯の作品みたいに呼んでほしくないです」
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その言葉はくの聞に掲載された。
やがて「クリスマスの使」という呼び名は報でも使われなくなっていった。
にはの名がある。
それだけの単純な事実を取り戻すのに、35以のがかかった。
捜査ではの被害者との関連が確定した。
さらに件について黒田の関与がく疑われたが、決定な物証は見つからなかった。
野は報告にその区別を確に残した。
疑いを事実へ変えてはいけない。
黒田の記に名があるからといって、全てを彼の犯と決めつければ、別の真実を見失う。
それは1989の捜査が「空港へ連れられた」というつの仮説に引っ張られすぎたことへの反省でもあった。
第7格納庫はその、予定通り解体された。
ただしが発見された部の位置だけは記録され、現写真や建築資料とともに永久保されることになった。
は解体の最終に、空になった格納庫を度だけ見げた。
自分が壁を壊さなければ、はさらに何見つからなかったのだろう。
あるいは再発で何も確認されないまま瓦礫と緒に処分されていた能性さえある。
そう考えると、偶然という言葉のさが変わった。
彼がいつもの順を守ったこと。
度を止めたこと。
自分で内部を確認したこと。
そのさな判断が、35止まっていたをかした。