"雪の空港で消えた四人と第七格納庫" 第9話
最傑作と呼ばれた
札幌へ戻った捜査本部は、から押収した資料の分析に追われた。カセットテープは本ずつ番号が振られ、写真は撮代ごとに分類され、記は担当者が複写して名、名、付を抜きしていった。
最もだったのは、19891224と25に録音された数本だった。
野たちは、被害者の尊厳を守るため、必な部分だけを捜査記録に起こした。
そこから分かったのは、黒田がを偶然選んだのではないということだった。彼女たちは数かから観察され、勤務表や帰宅方法、誰がをすかまで把握されていた。
黒田は空港職員というを利用し、へ審にわれずづけた能性がい。
事件当夜、従業員駐でをかす直か直にと接触し、何らかの理由をつけて第7格納庫へ誘導したとみられた。
吹。
遅延。
夜。
員のないクリスマスイブ。
すべてが黒田に都のいい条件だった。
録音には、彼がのにある友を利用したことを示す発言もあった。だけなら逃げようとしたかもしれない。しかし仲を残して自分だけることをためらうと、黒田は理解していたらしい。
野はその部分を読んでく黙った。
が仲がよかったという事実さえ、犯に利用されていた。
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黒田の記では、この事件を何度も「完成」と表現していた。
過の為を「練習」、1989のを「最傑作」と呼んでいる記述もあった。
それは逆に、過の未解決事件を探すきな掛かりになった。
福岡県警から最初の連絡が入った。
1978から1979にかけ、福岡空港周辺で航空会社勤務の若い女性が相次いで方になっていた。
黒田が福岡空港で働いていた期となる。
阪では、航空関連企業に勤める女性が1983に失踪。
仙台でも1980代半に似た事件が件。
から見つかったアクセサリーのには、それぞれの事件記録に記載された所持品と特徴が似た物があった。
柴田は壁にしい覧表を貼った。
「最でも」
「を含めればです」
野が答える。
「まだ確定ではありません」
だがDNA鑑定がむにつれ、疑いは次々と事実へ変わった。
アクセサリーの部や保されていた類から検されたDNAが、方だった女性の族と致した。
黒田の犯罪は、なくとも以続いていた。
それでも野にはつ理解できないことがあった。
なぜだけを第7格納庫へ残したのか。
の被害者については、黒田は所を隠し、証拠品だけを保している。
1989だけが違う。
答えは記の半にあった。
黒田は齢をねるにつれて、自分のが誰にもられないまま消えることを恐れるようになっていた。
そのためを「いつか必ず発見される作品」として残した。
つまり第7格納庫は隠し所であると同に、未来への展示所だった。
35の沈黙さえ、彼の計画の部だったのだ。