"夫が毎日3回トイレを磨く理由" 第1話
濡れた指先と濁の空気
洗面台の蛇から、揃いなリズムで滴が陶器のボウルを叩いていた。ポタリ、ポタリ。そのさな音だけが、やけに鼓膜の奥で反響している。
夕暮れのリビングには、歳の娘・莉乃(りの)がに広げたプラスチックブロックをガチャガチャと鳴らす乾いた音が響いていた。「お母さん見て、ピンクのおできたよ!」と無邪気に呼ぶ声に応えようとした瞬、洗面所から戻ってきた親友・美代子のが、私のの腕を万力のような力で締めげた。
「……っ、美代子?」
わず顔をしかめた私の腕に触れている彼女の指は、まるで保剤を押し当てられたかのようにたかった。滴で濡れたから気が滲み込んでくる。見げた彼女の顔は、血の気が完全に失せ、蝋形のようにく張っていた。唇が刻みに痙攣している。
「紗季、いい……? 落ち着いて、私の目を見て」
美代子の声は、元で擦れるようなかすれ声だった。けれど、その底には全の毛穴を逆撫でするような切迫が宿っていた。
「今すぐ莉乃ちゃんを抱きげて、をるの。誰にも、絶対にトイレにづかせちゃダメ。そして……にたらすぐに、警察に通報して。今すぐよ」
「……え? 警察って……何を言ってるの?」
冗談だとった。美代子とは学代からの付きいで、すでに以の親交がある。
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彼女は現、県警の嘱託も務める法医学教の監察医だ。常に変体や解剖台と向きい、どんな惨状をにしても眉つかさない。血の匂いが漂う現から戻った直でも平然とのカツ丼を平らげ、学寮にきなヤモリがたですら「尻尾が自切するから騒がないで」と静にコップで捕獲していた女だ。を仕事に持ち込まない鉄の女——そう呼ばれていた彼女が、今、私の腕を痛いほど掴み、全を刻みに震わせている。
「み、美代子……体、何を見たの?」
私の喉がカラカラに渇き、声が掠れた。彼女の線を追って廊の突き当たりを見る。半分だけいたトイレのドアの隙から、温かみのある球のかりが漏れていた。
「いいから、質問しないで。まずは子供をへ——」
美代子が遮るように言ったその瞬、玄関のドアノブの奥から、カチャリと属が噛みうたい音が響いた。
私の臓が、ドクンと嫌なね方をした。
今は曜。夫の玲央(れお)は勤務先の物流センターで棚卸しがあるため、帰宅はくても夜の過ぎになると言っていたはずだった。壁の掛け計の針は、まだ午分を指している。
属の軋む音とともにい玄関扉がき、スーパーのいビニール袋を提げた玲央がっていた。
「ただいま。
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……あれ? 美代子先、来てたの? 紗季、事に言ってくれればお寿司でも買ってきたのに」
玲央は好きのする、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。靴を揃えて脱ぎ、キーケースを駄箱ののトレイに置く。その所作のつひとつは、結婚してからの、毎のように見慣れてきた温な夫そのものだった。
けれど、次の瞬。私は確かに見てしまった。
玲央の線が、私と美代子のをすり抜け、廊の奥——半分いたままのトイレのドアへ、ほんの秒だけ滑り込んだのを。
黒目がわずかに収縮し、元の笑みが引きつるように固まった。もし美代子のあの切迫した警告がなければ、私はそのわずか秒の違に、気づくことはなかっただろう。
「……トイレ、気つけっぱなしだよ? 誰か入ってるの?」
玲央が何事もなかったかのように微笑みながら、ゆっくりと廊へ歩を踏みした。