"31年間、母が捨てなかったマットレスの秘密" 第5話
封印された名
「その子の名は……グレース」
背から、擦れた声がした。
振り返ると、寝の入りに母がっていた。ドア枠に両をかけ、崩れ落ちそうな体をかろうじて支えている。そのろには、静かに涙を流す父の姿があった。
母の顔から、先ほどまでの激しいパニックは消えっていた。そこにあったのは、すべてが終わったというい諦と、30以張り詰めていた糸がプツリと切れたような、あまりにも痛々しい脱力だった。
「……グレース?」
私が掠れた声で問い返すと、母はゆっくりと歩み寄り、私の隣のにへたり込むように座り込んだ。そして、スノコのに広がるの束の、番にあるさな黄ばんだ封筒に、震える指先で触れた。
「あなたのお姉さんよ、デイヴィッド」
を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「姉さん……? 僕に、姉がいたの……?」
「あなたがまれるよ。私たちが結婚して目にまれた、私たちの最初の子供」
母は懐かしむように、しかし胸を掻きむしられるような苦悶の表で、ベッドのの写真を枚、指先で撫でた。
「の好きな、本当に元気な子だったわ。し頑固でね、お気に入りのウサギのぬいぐるみを絶対にさなくて……お父さんが絵本を読んであげると、暗記するまで何度もせがむような子だった」
「その子が……どうして……」
広告
「4歳になったのだったわ」
それまで沈黙を守っていた父のアーサーが、ドアのそばからいをいた。元教師の厳格だった父の肩が、激しく震えていた。
「突然の、だった。最初はただの邪だとっていたんだ。だが、翌には識が混濁し、痙攣が始まった。救急を呼び、学病院へ運び込んだが……急性脳症だった」
当の医療技術では、を止めるてはほとんどなかったという。
入院から、わずか。
グレースは度も目を覚ますことなく、母と父のので、さな息を引き取った。
「世界が、完全に終わったとったわ」
母の瞳から、粒の涙がスノコ板のに落ち、古いのインクをわずかに滲ませた。
「さな棺をのに埋めた、私とお父さんは、きているがしなかった。朝が来ても起きがれない。ご飯のもしない。お互いの顔を見るだけで、あの子を救えなかったという罪悪で押し潰されそうになった」
のしみ方は、あまりにも対照だった。
母は狂ったように泣き叫び、娘のを抱きしめて部に閉じこもった。方、父はを完全に押し殺し、械のように学へ通い、無言で事をこなした。
しみを共できないは、次第に互いを責めうようになった。「なぜもっとく病院へ連れてかなかったのか」
広告
「なぜおは平気な顔で常を過ごせるのか」。
しって結婚したはずのの活は、わずかで完全に破綻しかけていた。
「そんな、このを見つけたの」
母は部を見渡した。
「のには、グレースの気配が満ちすぎている。だから、何もないこの奥のを買った。そして……で、ある恐ろしい約束をしたのよ」
「約束……?」
「そう」父が搾りすように言った。「きていくために。お互いを憎みって壊れてしまわないために……私たちは、グレースの名を、度とにしないと決めたんだ」
過を完全に消しること。
しみをの最奥に閉じ込め、何事もなかったかのようにを向いて歩くこと。それが、若いの夫婦が正気を保ち、き延びるために選んだ、唯の残酷な防策だった。
その翌、私がまれた。
「あなたが宿ったと分かった、私は神様に謝したわ」母は私の両を固く握りしめた。「でも同に、誓ったの。この子にだけは、んだ姉のを背負わせてはならない、と」
くなった子の代わりにされているのだと、私にわせたくなかった。常に先つ姉と比べられ、癒やしの代わりとしてきるような荷を、幼い私の背に背負わせたくなかった。
だから、は私ので、徹底して「完璧な族」を演じ続けたのだ。
「でも、母さん……じゃあ、これは?」
私はスノコ板のに広がる、夥しい数のいの品々を指差した。
話さないと決めたはずの過が、なぜ、が毎晩眠るマットレスの真に、これほどまでの執で残されていたのか。
母はしげに微笑み、首を横に振った。
その瞬、私はまだ気づいていなかった。
この「マットレスのの世界」に隠されていた秘密は、単なる娘への追悼だけではなかったということに。
母がに取った、最の通の。
その封筒の裏にかれていた消印と差の名を目にした、私はこの族が抱えてきた、もうつの途方もない真実の淵を覗き込むことになるのだった。