"夫に4千円を頼んだら、4千万円振り込まれた" 第3話
台所のがぐらりと揺れたようにじられ、私はわずシンクの縁を両で掴んだ。持っていた湯みがから滑り落ち、プラスチックの洗い桶のでカランと乾いた音をてた。
「嘘……でしょ……?」
掠れた声がから漏れた。隣の部から、物音に気づいた母が「加奈? どうかしたのかい?」とおぼろげな声をかけてきたが、答えることすらできない。
私は震える指でスマートフォンの画面を何度もスワイプし、アプリを度終させてから再度ログインした。通信エラーだ。システムの誤作に決まっている。の零細で働く夫が、千万円などというを持っているはずがないのだ。
だが、再起した画面の残欄には、酷なまでの正確さで同じ数字が表示された。
『現残:40,001,860円』
元々あった千百円に、円の狂いもなく千万円が加算されていた。
パニックで血の気が引いた指を操り、私は勇の携帯話へリダイヤルした。コール音が鳴るか鳴らないかのうちに、通話から夫の静かな声が聞こえた。
「加奈か。通、届いたか」
「勇! これ何なの!? 千万って……座に千万円入ってるんだけど! 何かの違いでしょ!? の誤送じゃないの!?」
半狂乱になって叫ぶ私の声に、受話器の向こうの勇は、周囲に配慮するように声を潜めて答えた。
広告
「違いじゃない。俺が窓から正式に振り込んだだ」
「な……何言ってるの!? あなたのおなわけないじゃない! どこからそんながてくるのよ!? まさか……悪いことにをしたの!? 会社のを横領したとか、とか……!」
「加奈、落ち着け」
勇の声は、いつになくく、張り詰めていた。
「犯罪のじゃない。俺の正当なだ。……今、まだの駐にいる。これからで戻るから、で全部話す」
「今すぐ説してよ! 私、怖くてがおかしくなりそうだよ!」
「帰ったら類を見せる。だから、今は俺の言うことをつだけ聞いてくれ」
勇は受話器越しに、言言を噛み締めるように言った。
「、お母さんを必ず番いい病院へ連れてってくれ。そので病気が魔法みたいに消えるわけじゃない。でもな……加奈が診察代や代、今の料の減額を全部同に配して、泣きそうな声で誰かにをげる必だけは、もう絶対にないようにしたかったんだ」
「勇……」
「夜には帰る。待っていてくれ」
通話が切れた。プツリという無質な子音の、狭い台所に静寂が戻ってきた。
私は画面が暗転したスマートフォンを両で握りしめたまま、そのにち尽くした。
窓のを見ろすと、夕暮れの商を、パート帰りの主婦やランドセルを背負った学たちがに通り過ぎていく。
広告
誰もが数円の特売のキャベツを買い、々の些細なやり繰りにを悩ませながらきている。
それなのに、私ののにあるこのい板には、彼らがかけて稼ぐようなが、ただの数字として眠っているのだ。
現実が完全に麻痺していた。
乗り続けたボロボロの軽自。靴底が剥がれるたびに接着剤で修理して履いていた夫の姿。画面の割れたスマートフォン。先のガス代の引き落としができず、コンビニの振込用を握りしめて青ざめていた私たちの暮らし。
そのすべてと、目のにある『千万円』という数字が、どうしてもつの世界のものとして結びつかなかった。
「……見違いだ。械のエラーに決まってる」
私は着を羽織り、財布とキャッシュカードをポケットにねじ込むと、逃げるようにアパートをびした。
の空気は夕暮れを過ぎて急速にえ込み、肌を刺すような気が頬を打った。
私は俯き加減にりで通りを抜け、桜商のれにあるコンビニエンスストアへと滑り込んだ。自ドアを抜け、雑誌売りの奥にあるATMのにつ。周囲に誰もいないことを確認し、震えるでキャッシュカードを挿入した。
暗証番号の桁を押す指先が、氷のようにたくなっていた。
画面に表示された『残照会』のボタンを押す。
械の内部でローラーが回転し、カタカタと乾いた処理音が響く。数秒の静寂の、画面に現れた選択肢——『細票を発しますか』。