"100人宴会を潰した義妹に、店主の私が請求書を出した日" 第10話
署名捺印が完し、インクが乾いた瞬、にわたって菜緒を縛り付けていた「族」という名のい鉄の鎖が、音をてて砕け散った。
そのの夕刻、菜緒の事業用座に、リエからキャンセル料全額である万千円の振込が完した通が届いた。松代が老の命保険を解約して面したのだという。
は戻った。しかし、菜緒の胸のに勝利の歓などは微もなかった。
ただ、理尽に歪められた世界の境界線が、法と証拠の力によって本来あるべき位置へと力ずくで引き戻されたという、乾いた静寂があるだけだった。
に入り、を吹き抜けるが初の匂いを運んでくるようになった。
菜緒は役所の戸籍係へ向き、復氏届を提した。「藤本」から旧姓である「森川」へ。数ぶりに戻った自分の名にペンをらせながら、菜緒は胸の奥の澱みが、さらさらと清らかなで洗い流されていくような錯覚を覚えた。
「魚」は、営業を休むことなく続いていた。
キャンセル騒の直こそ、所の民や競から探るような線が向けられたが、保健所の「優良正事項なし」の検査結果通を帳に掲示し、同窓会幹事会からの正式な謝罪文が回覧されたことで、悪ある説は完全にち消えた。むしろ、「客の理尽な横暴に屈せず、徹底した管理を証した名」
広告
として、元の経済たちので評価はねがった。
厨では、板のが以にも増してのこもった包丁さばきを見せていた。
「女将さん! から入った初鰹、最の質ですぜ! 炭で皮目をパリッと焼きげて、たっぷりの薬とポン酢でいきましょう!」
「ええ、お願い。お造りの盛りわせにも、しめに切って入れてあげてね」
帳の話が鳴る。
予約の問いわせだった。菜緒は受話器を取り、落ち着いた声で応対した。数、、アレルギーの無。そして、最には必ず言を添える。
「当では、名様以の団体予約の際、事に確認を取り交わさせていただいております。お数をおかけしますが、ご理解いただけますでしょうか」
「もちろんですよ、魚さん。しっかりしたおだと聞いていますから、んで伺います」
話の主は、く承諾してくれた。
誰かの嫌を損ねることを恐れて曖昧な約束を結ぶ代は、完全に終わったのだ。誠を持って向きい、ルールを共できる客だけを切にする。それが、父が遺したこのを未来へ繋ぐ唯のだと、菜緒は確信していた。
午3。仕込みのの休憩、勝の引き戸が慮がちにカタカタと鳴った。
菜緒が勝をけると、そこには、以の派な化粧をすっかり落とし、作業着にを包んだリエがっていた。
広告
にはさな袋が握られている。
「……菜緒さん」
消え入りそうな声だった。かつての傲な響きはどこにもなく、線は怯えたように面を彷徨っている。
「何の用かしら。おの清算はすべて終わったはずよ」
「……これ、お母さんから。お詫びの品です。それと、私……」
リエは袋を差しそうとしたが、菜緒は両を割烹着のポケットに入れたまま、受け取ろうとはしなかった。
「お母様からの品なら、受け取れません。持ち帰ってください」
「菜緒さん……私、本当に悔してるんです。会社も辞めることになって、友達もみんなれていって……私、自分がどれだけ酷いことをしたのか、今になってようやく分かりました……」
リエの目から、ボロボロと粒の涙が零れ落ちた。それは健に泣きついたのような計算された涙ではなく、己の浅ましさによって自らの居所をすべて破壊してしまったの、救いようのない悔の涙だった。
「そう」
菜緒は静かに答えた。その声にはりも、憐憫もなかった。
「でもリエさん、それを悔やむ相は私じゃないわ。あなたが欺いた同窓たちと、あなたを育てて信じていたお母様、そして何より、あなた自のこれからのに対してよ」
「私……もう度、やり直せますか……?」
「それは、あなたが決めることよ。私には関係のないことです」
菜緒は歩がり、勝の引き戸にをかけた。