"ゆで卵ひとつで嫁をやめた朝" 第3話
そういうに限って玄関には見慣れない靴が並んでおり、代の娘である裕子が遊びに来ていた。
ある、私が夕飯用に買った牛肉を、裕子と代が昼から焼いてべていた。
「あら千さん、夜勤お疲れさま。お母さんが蔵庫にあるから使いなさいって」
「それ、の夕飯に使う予定だったんですが」
「じゃあ、また買えばいいじゃない。千さん稼いでるんでしょう?」
裕子は笑いながら言った。
そして帰り際、私は代がい封筒を娘の鞄へ押し込んでいるところを見た。
「お母さん、悪いよ」
「いいから持っていきなさい。亮君には何かとおがかかるんでしょう」
封筒は「孫への遣い」と言うにはかった。
けれど私はをさなかった。
代のを、代が誰に渡そうと勝だとっていたからだ。
そのの私はまだらなかった。
代が娘へ渡していたそのものが、どこからまれていたのかを。
私より先に異変へ気づいたのは、族ではなく職だった。
同居から8目の5、夜勤けの申し送りを終えたところで、森師に呼び止められた。森師はこの病棟に20以勤務し、スタッフの顔だけで「昨眠れていない」「何かあった」と見抜くようなだった。
「さん、ちょっと座って」
勤務表の私の欄には夜勤を示す印が5つ並んでいた。
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先も5回、そのも5回で、規定は何の問題もない。けれど森師は、勤務表ではなく私の顔を見ていた。
「けの、でちゃんと寝てる?」
私は瞬、答えに詰まった。
「のことは、のことなので」
「それが職にてるうちは、私の管轄よ」
森師は赤いペンを机へ置いた。
「20以見てきたから分かる。夜勤けに眠ってないの顔って独特なのよ。さん、で休めてないでしょう」
返事をしない私に、森師はそれ以事を聞かなかった。ただ翌の勤務表から、私の夜勤を5回から4回へ減らした。当が減ると分かっていても、私は断る気になれなかった。
更では、輩の神田楓が待っていた。29歳で夜勤を組むことがく、るい性格の割にの様子をよく見ている。
「さん、師にられました?」
「逆。夜勤減らされた」
「よかった」
即答されて、私はわず笑った。
「何がよかったのよ」
「言うか迷ってたんです。さん、けのにほぼ毎回、誰かに話で謝ってるじゃないですか。『すみません、すぐ帰ります』『帰りに買います』って」
言われて初めて気づいた。
代からだった。
夜勤けになると、決まって午9に話が入り、「何に帰るの」「牛乳がない」「帰りに洗剤を買ってきて」と頼まれる。私はそのたびに「すみません」と答えていた。
「お姑さんですよね」
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「うん」
「私の母、それで3でました。だから何となく分かります」
楓はし言いにくそうに目を伏せた。
「さん、8ですよね」
「丈夫。もう慣れたから」
からた「慣れた」という言葉に、自分自が番驚いた。
私はいつから、できることを所だとうようになったのだろう。
その帰り、駅の薬局くで代の妹・松に偶然会った。68歳の松は姉より柄で、声も落ち着いており、義父の法事のにもだけ私へ「し座りなさい」と声をかけてくれただった。
「あら千さん、夜勤け?」
「はい。今から帰るところです」
松は買い物袋を持ち替え、私の顔をじっと見た。
「あなた、痩せたわね」
「そうですか?」
「姉さん、まだ裕子にべったりなの?」
わずが止まった。
「べったりというと?」
「昔からなの。悟君には厳しくて、裕子には甘い。あの子がを建てただって……」
そこまで言って、松は突然を閉じた。
「何かあったんですか?」
「これは姉さんのから聞くべき話だから。ごめんなさい、寄りの昔話」
松は私の腕を2度軽く叩き、そのまま歩きった。私はその背が角を曲がるまでけなかった。
積もり続けた違のに、初めて誰かが指をかけた気がした。
ところがへ戻ると、玄関で代が雑巾とバケツを持って待っていた。
「遅かったわね。2階の窓、拭いておいて。
裕子が来るから」
「今、夜勤けです」
「ってるわよ。だから昼はにいるんでしょう」
私の元へ、の張ったバケツが置かれた。
私は黙って取っにを伸ばした。
その、居に置かれていた代の携帯が鳴った。相は裕子らしく、代の声だけが廊まで聞こえてきた。
「来るんでしょう? 亮君も連れてきなさいよ。好きなもの買っておくから」
しを置いて、代は笑った。
「おのことなんて配しなくていいの。カードがあるんだから」
話を切った代は、何でもないことのように財布を卓へ置いた。
のいた財布から、1枚のカードが半分だけのぞいていた。
何度も見たことのあるだった。
私はバケツを持ちげかけて、ほんの瞬だけを止めた。
悟が母親に持たせているカード。
私は8、ずっとそうっていた。
けれど、その初めて妙なことに気づいた。
――あのカードと同じものを、私は毎どこかで見ている。
「千さん、窓よ。ぼーっとしてないで」
代の声に促され、私は何も言わず2階へがった。
そのはまだ、そのさな違を確かめようとはわなかった。
ただ胸の奥に、細い棘のようなものだけが残った。
裕子へ渡される分い封筒。
当然のように使われるカード。
そして、8ほとんど変わらない代の暮らし。
窓を拭きながら、私は初めて考えた。
――このでは、いったい誰のおで、誰が暮らしているんだろう。