公園や駅前に設置された裸婦像が「公共の場に不適切」とされ、撤去の動きが進んでいます。静岡駅前のルノワールの「勝利のヴィーナス」「洗濯する女」は市長により移設の検討が始まり、香川の公園にある「女の子・二人」は移設が決定しました。亜細亜大学の高山教授は、市民の理解があれば移設の必要はないと指摘しています。一方、作者の彫刻家・阿部誠一氏は、自治体から話がなく移転が決まったことに怒りを感じているとのことです。
公共の場での裸婦像は戦後、平和の象徴として広まりましたが、台座が低いため視線に入りやすいといった問題もあるようです。

公共空間における裸婦像の撤去問題は、単に美的価値や芸術的意義を問うだけではなく、価値観の変化や公共の場の適切性を問い直す契機となっています。まず、これらの像がどのようにしてその場所に設置されたのか、設置の経緯を明確にし、市民に説明することが必要です。そして、公共空間に設置するインスタレーションが地元コミュニティの価値判断や意思を反映しているかを確認するプロセスを尊重するべきです。進展する時代の中で、価値基準に追随し単に撤去するのではなく、市民参加の討論の場を提供し、芸術や文化の意味を再考することが求められます。そして、可能であれば、アートの新たな形を導入し、現代社会に合った表現を生み出すことが重要です。
これは、単なる批判や文句を押し通す社会ではなく、皆が参加し、健全な文化を築くための道筋になります。
ネットからのコメント
1、何が時代にそぐわないで、欧米では~だよ。それなら、主要先進国でモザイクがあるのは日本だけで、それで刑事処罰の対象になるほうが異常なんだから、さっさとモザイク廃止することを言うはずが、これは取り上げない。都合のいい切り取りで、偏向してきた報道側を見ると、よくネットの批判ができるな。
2、こういうの子どもの頃から、嫌な気持ちだったけどね。男性の意見だけで色んなことが決まってきた時代が長かったのだと思う。子どもや女性の意見がちゃんと表に出てくるようになったということだと思う。男性と女性に分けてアンケート取ったら面白い結果になるんじゃないかと思う。芸術家気取りで、これは残すべきだなんて言うのは男性が多いと思う。撤去して困る人はいないと思う。嫌な思いでいた人はホッとすると思う。
3、そもそも、問題とも思っていない。それとも、アンケートでも取った上で、反対と賛成の数を集計したというのか?勝手に代弁しないで貰いたい。
ダビデ像もミケランジェロの素晴らし作品だし、日本の裸婦像も素晴らしい作品だ。それを撤去するなど、作品への冒涜と呼んでもいい。
4、地元の画家さんがデザインした横断幕が市民ホールにありました。小学生の頃そこで良く音楽の大会があったりましたが、恥ずかしかったですね。裸の女性達が宙を舞う仏教的なアート。「なんで裸なんだろう…。こういうのって子供は見ていいのかな…」と思ってました。大人になったら芸術だと理解出来る様になったのですがやはり多感な年頃には恥ずかしさが強い気持ちがわかります。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/353f77bbadc91d5cec24acf0dd5a5cfde7a2d1bc,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]