【事件概要】
2025年8月6日、広島は被爆から80年を迎えた。市内の平和記念公園では午前8時から慰霊式と平和祈念式が行われ、原爆投下時刻の8時15分には黙とうが捧げられる。今年は過去最多の120カ国・地域とEUが参列予定。昨年度、広島の被爆者の死者数は4940人に達し、原爆死没者名簿は計34万9246人に。被爆者健康手帳の所持者は初めて10万人を下回り、平均年齢は86歳を超えた。
核兵器の脅威はロシア、イスラエル、インド、パキスタン、イランなどで高まり、日本国内でも核抑止論が再燃している。
【コメント】
80年を経てなお、核の脅威が再び世界を覆い始めている現実は異常だ。被爆国である日本ですら「核には核を」とする抑止論が台頭し、日米間で核兵器使用を想定した訓練が議論される始末。これは、人類が一度犯した過ちを「必要悪」として再正当化しようとする危うい兆候に他ならない。
本質的な問題は、核兵器の「抑止力」神話が未だ国際政治を支配していることだ。それは安全保障ではなく、恐怖の連鎖でしかない。戦争の記憶が風化し、核の現実を知らぬ世代が意思決定の中枢を担うことで、「核のタブー」は危機的に脆くなっている。
解決策は明確だ。第一に、核兵器禁止条約への批准を日本が率先して行うこと。第二に、核使用を正当化するあらゆる論調への毅然とした否定。
第三に、次世代への継承と教育を国家の義務として制度化すること。
80年前に奪われた命と、今なお癒えぬ苦しみを思えば、「核の抑止」などという理屈は空虚だ。安全とは武器の所持ではなく、信頼の積み重ねによって築かれるべきものだ。過去の教訓を未来に生かさなければ、歴史は再び悪夢を繰り返すだろう。
ネットからのコメント
1、核の犠牲者達がどれほど訴えても、核兵器は無くならずそれどころか、核を持つ国が持たざる国に対して、横暴な戦争行為を仕掛けようとさえしている。核保有国だけが優位な立場となるため、核拡散防止とかで、持たざる国を牽制してはいるが、自分達は一向に核を捨てようとはしない。この事実を世界の代表が集まる場で、ハッキリと述べ、全世界から核を廃絶することを強く訴えることができるのは、被爆した方やその思いを受け継ぐ方しかいないし、日本が堂々と世界に向けて発信すべき事だと思う。
2、今日は広島に原爆が投下された日。政治や立場を超えて、ただひたすらに「平和とは何か」を静かに考える日だと思います。戦争の悲惨さ、命の重さ、そして今ある日常のありがたさ。
過去を忘れず、未来に伝えていく責任が、今を生きる私たちにあると思います。
3、はじめて原爆資料館を見学したとき。人間が人間にしたあまりにも酷い行為に、愕然としました。80年の節目を。被害に遭った方々の魂の安寧と、2度とあのようなことが世界で繰り返されないようにとの誓いを、皆で静かに祈りたいです。
4、戦争を体験した方々が語り継いでこられたおかけで、我々戦後生まれの人間も、戦争とはかくも悲惨なものであるという事を知ることができています。しかし、戦争の悲惨さは語り継がれているものの、どのようにしたら平和が実現できるのかという知恵は一向に語られません。武器を捨てれば平和が実現できる、核を廃絶すれば平和が実現できるという知恵は現実でないということがこの80年間ではっきりしました。戦争の悲惨さを語り継ぐとともに、もっと現実的な平和実現策を唱える段階に入っていると私は思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d0f04a0d90487c65ef4d7c50e65bbb33b42ef1ba,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]