1945年8月9日、ソ連軍が旧満州に侵攻し、8月15日に終戦を迎えました。岐阜県黒川村出身の黒川開拓団の女性たちは、この混乱の中で、幹部によって「ソ連兵に対する性接待」という名の性暴力を強いられました。敗戦直後の略奪と暴行が横行する状況で、幹部はソ連兵に警護と食糧を依頼。その見返りとして18歳以上の未婚女性15人が差し出され、一晩で何人もの兵士の相手をさせられました。
この悲劇は長い間隠されていましたが、2018年に石碑と除幕式を通じて明らかにされ、『黒川の女たち』というドキュメンタリー映画が作られました。
この事件が浮き彫りにしたのは、女性たちが守られるべき時に裏切られ、命を引き換えに生存を余儀なくされたという歴史の深刻な欠陥です。当時の開拓団幹部が女性たちを“物”として差し出した事実は、共同体の倫理的堕落を象徴しています。この事件を通じて、女性の安全を守るための新たな仕組みが求められます。具体的には、過去の事例を教訓とし、教育の場での戦時下の倫理教育の導入、政府による事件調査と報告の徹底、そして被害者支援の充実が必要です。この事件から得られる教訓は明瞭で、「人権は一部の利益によって犠牲にされてはならない」という原則が再確認された瞬間でした。
ネットからのコメント
1、本当に想像するだけで恐ろしい実話です。しかし、彼女たちの犠牲があってこそ451名もの団員が無事に日本に帰国できたのです。残酷なのは、その事を闇に葬られたことです、人間は、都合の悪いことは全て見ないように蓋をします。心の奥に事実をしまい込み、家族をも裏切っているような気持ちに苛まれたことでしょう。どんなに辛かったか。それでも、勇気を持って証言してくださった方々に敬意を表します。二度と同じようなことが起こりませんように。
2、私の伯父は実際に今のインドネシアに派兵されてアメリカ兵との実戦を生き抜いて終戦を迎えました。伯父の話によれば、終戦間近には食料も全く補給されずやむを得ず現地住民たちから奪い取ってなんとか食糧を確保したりマラリアなどの病気が蔓延して高熱に苦しむ日本兵たちの治療も出来ずそのまま放置して戦闘に出かけ、部隊に帰って来ると亡くなっていたという事も日常だったそうです。当然埋葬も出来ず、辺りが腐臭に満ちている中でウジ虫を口にしたとも聞きました。終戦後、その現地人たちに命を狙われる中で命からがらなんとか日本に辿り着いたのですがその後亡くなるまで、いっさい戦中の話はしてくれませんでした。
おそらくですが、そうした中で絶対「人には話せないような悲惨な事態」が起こっていたのだと思います。誰も戦争などしたくはないと言いながら、最近好戦的なコメントが溢れている事に大きな不安を感じています。
3、この中で一言も語られてない関東軍の存在終戦後 満洲国建設として集められた日本国民を守ることなく 早々に撤退した関東軍はどのような指示で撤退したのかを知りたいです国からの指令なのか? 軍からなのか?頼ることがない一般民が出した答えが自決か? このような形での生き延び方なのか?戦後80年 この辺りの事も精査して欲しいところです戦争って 一般民(特に女性、子供)に大きな犠牲が生まれるんですよね
4、日本は慰安婦問題で賠償や謝罪を要求されました。何故、日本政府はロシアに対して賠償や謝罪を求めないのでしょうか。これが敗戦国という事なのでしょうか。海外からの入国者に手を差し伸べるより、日本国民で戦争による被害を受けた方に対してもっとすべき事があるのではないでしょうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3aa8ef5914760e6992e5df1c4ead18907e9fbec3,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]