浦田勝さんは、太平洋戦争末期に「海の特攻」と呼ばれる人間魚雷「回天」の搭乗員でした。1943年に18歳で海軍航空隊に入隊し、新兵器「回天」に志願しました。1945年4月には大分県日出町の大神訓練基地に配属され、仲間と共に訓練に励みました。回天は、特攻兵器として約1000人が命を落とす中、約9か月間で少なくとも7つの敵艦を撃沈しました。
浦田さんは戦後、戦友の死を悼み、お堂を自宅に設けました。現在は100歳を迎え、平和を願い続けています。
浦田さんの経験は、戦争の恐ろしさと人間の儚さを強く訴えるものです。軍事的要求に応じることを迫られていた若者たちは、「回天」という悲劇的な象徴の中で選択肢を奪われ、その中でも自身の使命を信じざるを得ませんでした。この経験は、戦争の非人間性を明示するものであり、国家の名の下に個人の命が単なる「兵器」として扱われる制度的欠陥を浮き彫りにします。この悲劇を繰り返さないために、歴史から学び、軍事主義の誘惑を拒絶すること、国民が戦争の現実に対する認識を深める教育を充実させること、国際平和を志向する外交方針を強化することが求められます。浦田さんが語る「戦争は決していいものではない」という訴えを心に刻み、未来に穏やかな平和を築く努力を続けることこそが、私たちの義務であり道徳的責務です。
ネットからのコメント
1、特攻隊も人間魚雷も80年前の日本の現実。戦没者追悼式の報道で、「いつまでやるのか?」などというコメントがありいいねを集めていたが、戦争経験者が少なくなり、戦争の記憶もなくなると、こういう人間が増えてくる。今の平和もいつまでも続くわけではないが、知識がないとそれすらわからず日本は平和な国でそれがいつまでも続くと根拠なく思ってしまう。戦争の記憶を継承していくということは非常に大切な事。SNSではアクセス数を稼げない情報は拡散されないため、SNSでしか情報を入手しない人間は戦争の知識はない。
そういう人間が増えるとき再び日本も戦争に近づくことになる。
2、回天は先端に1トンの爆薬を搭載して人が操縦して敵艦に体当たりするわけだが、こんな非人道的な兵器が本気で開発されて実用化され、実戦で使用されたことが本当に信じがたい。回天を射出して敵を攻撃出来るなら通常の魚雷でも攻撃出来るだろう、回天の潜望鏡から見える範囲などほとんど無いのだから。確か伊58に撃沈された原爆を運んだ後のインディアナポリスは回天を使用せず、通常魚雷で撃沈されたはず。回天は不要な兵器だった。この兵器で亡くなられたすべての方に黙祷を捧げます。
3、20年ほど前私は秋田県の小学校の野球部に所属していたんですが、ベンチで歌うチームを鼓舞する歌の中に『ここで出ました人間魚雷〜♪』という歌詞の歌がありました。強打者の打球を突撃する人間魚雷に例えて相手チームを威嚇するのでした。当然小学生本人には人間魚雷の本当の意味はわからなかったのですが、なんだか得体の知れない歌を先生も父兄も子供に歌わせるように仕向けていたんだなぁと思います。戦争に関わられていた地域のお年寄りはあれを聞いてどう感じていたんだろうなぁと今になって思います。
そしてそのような秋田県の教育環境に失望しています。もう無くなっている文化かも知れませんが。
4、本当に大変な時代でした。欧米諸国の植民地支配から亜細亜各国を解放し、連合国の侵略を防いでくれた先達の皆さんの命を掛けた働きのお陰で今の自分達が生きていることを感謝しています。今の時代はドローン兵器が効果的に敵国の侵略を防いでくれています。ドローン兵器の開発、配備を急ぐ必要がありますよね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/c55d0bc0182d773a65aa8b5d20b00bcdeac17f01,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]