北村晴男議員が7月27日未明、日本保守党の支持者の投稿に呼応し、「醜く奇妙な生き物を国のリーダーに選んだ日本」とSNSに記載した。この発言は、石破茂首相を侮辱した表現として波紋を広げている。同党代表の百田尚樹氏は、「容姿のことではなく生き方を表現した」と釈明した上で、「政治家に『醜い』がダメなら『汚い政治家』もダメになる」とメディア批判を展開。
SNSでは賛否が分かれ、支持・擁護の声もあるが、多くは「表現が不適切」「人格中傷にあたる」といった厳しい意見が寄せられている。
言論の自由は民主主義の根幹だ。しかし、その自由が公然とした人格攻撃にすり替わる瞬間、社会は危うさを孕む。北村議員の発言は、特定の政治家への批判を超え、「醜く奇妙な生き物」と表現することで、個人の尊厳を踏みにじっている。これは単なる政治論争ではなく、公共の言語空間における倫理の崩壊を意味する。
問題の本質は、公職にある者が感情的かつ扇動的な言葉で人を攻撃し、それを「比喩」や「政治姿勢」として正当化する風潮にある。表現の過激化は政治の品格を損ない、社会全体に言葉の暴力を正当化する土壌を与える。
解決策としては、①議員に対する公的な発言ガイドラインの整備、②SNS発言に関する政党内での倫理委員会設置、③メディアによる言語暴力の厳格なファクトチェックと反論権の保障が必要だ。
言葉は武器だ。信頼される政治には、言葉の節度と責任が不可欠である。侮辱で支持を得る政治は、やがて社会の品位を奪う。
ネットからのコメント
1、海外メディアにおいて政治家批判に使われる表現なら珍しくないと思う。北村晴男氏はなぜこの表現になるのかロジックを丁寧に説明していて情緒はない。一般論として海外メディアが政治家を報道する場合、ロジックが重要で、情緒的な同情は少ないと思うし、ひどい表現は使わずに柔らかい表現にする的な自主規制は少ないと思う。日本の有名人の場合、例えば、北村晴男氏を名指しで批判している橋下徹氏は、北村晴男氏のロジックを全無視していて情緒的。情緒で判断するかロジックで判断するか、どちらが支持を得られるか。
2、逆質問されて、言葉に詰まる質問者は、内心の自由を守り通したが、この発言を問題にする人こそ、「醜い」と心のどこかで思っているから、確かにその通りだと思う。読解力が大事。
3、日本保守党はモラルもセンスもないように見える。党内部の揉め事も収める力量自体、百田氏は持ち合わせていないようだ。そもそも政党を立ち上げ何がしたかったのだろう。
こんな瑣末な話題で騒がせるばかりでは政党の先は明るくなさそうだ。
4、党員のこんな言動、擁護してはいけないと思います。読解力云々と言う前に、日本保守党の人たちは公正なものの見方ができていないと思います。石破さんを批判するなら、誹謗中傷ではなくてちゃんと議論になるようにやって欲しい。でなければ政治家である意味がない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/b55530ab274aca3eb1f03373c9e7f25cb75f6931,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]