事件概要
1945年8月6日、広島で14歳の福井絹代さん(当時)は爆心地から約1.8kmの自宅にいました。爆発の瞬間、家が崩れ弟とともに命を守りました。その後、長崎に避難し、8月9日に長崎でも被爆。この経験を語る福井さんは、広島と長崎で受けた恐怖と人々の苦しみを目の当たりにしました。戦後は心身ともに苦しみながらも、生き抜きました。
彼女は「原爆は絶対駄目」と強く訴え、過去の痛みを次世代に伝えようとしています。
コメント
福井絹代さんの体験を知ると、原爆がもたらす無情さと恐ろしさが心に深く刻まれます。広島と長崎の二重被爆を経験した福井さんの言葉には、戦争の非人道性が集約されています。被爆後、彼女が直面した心身の苦しみは計り知れません。しかし、彼女の言葉が伝える「原爆は絶対駄目」という強いメッセージは、ただの反戦の呼びかけにとどまらず、全ての人々に対する警鐘でもあります。戦争がもたらす深い傷を癒すには、過去の痛みを繰り返さないための行動が必要です。教育と平和の維持が私たちに求められるときです。
ネットからのコメント
1、「原爆がダメ」と言うのは小学生でもわかる事ですが、何故ダメなのか?がわからなくなっているのだと思います。
それは単にメディアの伝え方一つとっても、ダメだからダメ。としか言えてないように思えます。ですが、被爆者の方から直接聞く体験からは、何故原子爆弾がダメなのか?を本質的に知る事ができるのだと思います。メディアはこう言う書き方をしてアンチを作るのではなく、わかりやすく被爆者の方の経験を若い方に伝える方法を模索してほしいです。
2、原爆による被曝に遭っていてこうして生きておられると言うだけでも大変だったと思います。そんな中でも広島と長崎両方の原爆によるニ重被曝の方がいらっしゃると言うのは、何と言うか本当に過酷な経験をしていらっしゃったんだろうと思います。原爆において、その場で熱線で焼かれて亡くなった方々の悲惨さは当然ですが、その後に残された放射線と言う目に見えない、当時は、誰も知らないものに体を蝕まれてなくなっていく悲惨さ。そしてこの方のように、やっとの思いで生き残っても、原爆にあったと言うだけで、理不尽に差別されていくと言う事の悲惨さがものすごく悲しい。どんなことがあっても、核兵器は使ってはならないと心の底から思います。
その悲惨さを語り継いでいく方が年々減っていることにとても憂いを感じます。
3、二重被爆というと山口彊さんという方が非常に有名で、二重被爆という題名の映画にもなっています。この山口さんは2度とも直接被爆されたということで極めて珍しいケースです。2時被爆は非常に稀なケースですが、こういう方も複数いらっしゃるんですよね。長命なところを見ると放射線による原爆症は無さそうですが、悲惨な現場を何度も見るのはしんどいことだったでしょう。もうこのような方が2度とうまれないようにしなければと思います。
4、核廃絶を目指す事は間違いではないと思いますが、最優先なのはもう二度と日本が核兵器の被害に合わない様にする事ではないでしょうか?日本は中国ともロシアとも領土問題を抱えています。両国とももちろん核兵器を保有しています。紛争が起きればロシアがウクライナにしている様に、核による恫喝をが行われることは自明です。核廃絶は仮に可能だとしても遠い未来の話しになるでしょうから、それまでは何としてでも日本が再び核の被害に会わない様にしなければなりません。
世界中で核廃絶が達成されるまでは、日本は唯一の被爆国なのだから核抑止力を持つべきなのではないでしょうか?もう絶対に核攻撃されない国にする。これが私達の子孫に対する責任ではないでしょうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ee34b1b308ffa319e4f1ae46672a389c9251d8dd,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]