教育における「体験格差」が話題となっています。このトレンドは2025年8月23日時点で、教育熱心な家庭が子供に特別な体験をさせようとすることが一般的になりつつある現状を反映しています。しかし、こうした体験を提供するNPOや業者が、留学や探究プログラムを販売することで不安をあおる商法として批判されています。特に低所得者層の家庭の子供は、経済的制約からこうした体験が得られない傾向が報じられ、この「体験格差」問題は社会的不平等を浮き彫りにしています。
また、大学の総合型選抜での体験重視が、業者によってさらに誇張されており、実際には学力がより重視されている現実とのギャップも問題視されています。
この「体験格差」ビジネスは、本来の教育の目的を見失わせる深刻な問題です。現状では、経済力に依存した体験の質で子供たちが評価されることが当然化されつつあり、倫理的に看過できません。第一に、総合型選抜における実際の評価基準を透明化し、体験と学力のバランスについて誤解を解消することが必要です。第二に、公的な教育制度内で、あらゆる家庭の子供がアクセスできる多様な体験プログラムを提供し、格差の是正を図るべきです。第三に、企業やNPOは倫理的責任を自覚し、消費者の不安を煽るビジネスモデルを見直す必要があります。このような不均衡な商法が続く限り、本来の教育の役割を果たすことはできず、真の教育的価値が見失われます。教育は経済力によらない、平等な学びの機会として提供されるべきであり、商業的目的にその価値を奪われるべきではありません。
ネットからのコメント
1、子どもの体験格差で言えば、今より昔の方が大きかったですよ。
かつては情報化されてない事象がほとんどだったから、それを知る機会が少なかっただけで、お金持ちの家と貧しい家ではスポーツにしても旅行にしてもやれる範囲、行ける範囲が違いすぎて話にもならないほどでした。反対に今の方がネットで情報や知識が入り、求めれば体験できる機会は増えた分、体験格差は減っているはずです。
2、一般推薦が減って、推薦が増えるとこんな風になっていくと予想はしていました。「身近な地域の問題を解決する」として、地域で夏休みの子供のための学習支援教室や体験教室をやるボランティア団体をやってます。ボランティアに来て、運営などをいろいろ体験した子はいい大学に推薦もらえたり、就職もうまくいってます。業者に惑わされず、お金をかけなくても身近なところでいい経験はできるよって伝えたいです。
3、体験格差って言葉をあちこちで見るけど、私も違和感があります。うちの実家は入学支援金をいただくほどの貧困家庭だったけど、親は市のイベントや博物館などによく連れて行ってくれた(お金がかかるので美術館はないが)。お金が無くてもできることがたくさんあるんだよね。
とはいえ、うちの親がそこまでしたのも、両親が高学歴だったというのも大きいと思う。つまり体験格差って、年収ではなく、親の教育熱なんだよね。そして、現代っ子がお金をかけないと自然体験ができないのも事実。昔は近所の他人の空き地や畑でみんなで虫を捕まえてたけど、今は他人の土地なんて入れない。親が山登りをさせるにも、親にヘビやハチの知識がない。お金をかけるしか無いんだよね。
4、そうだよな。たとえば、親が忙しくて日常的に家事を手伝っている子が、独自の工夫で時短をしたとか、自分なりの汚れ落としのコツを発明したとか、学校で習ったことを応用したとか、そんなエピソードをたくさん語ってくれた方が、海外に行きましたなどという体験談よりよほど興味をそそるけどな。家事も兄弟の世話も、手伝いじゃなくて、自分で責任を持って担わないと真剣にならないし、自分だけの時間をつくりたいと思えばこその工夫もある。お金をかけてあげられなくて、どこかに連れて行ってあげられなくて、塾の力を借りられなくて、かわいそうだ、人生で不利だ、などというマーケティング戦略に踊らされてはいけない。
優れた体験とは、置かれた環境をいかに自分のために使えるか、が全て。与えられるものではなく自分でつかみ取るものです。子どもの「格差」に関する話は、ほとんどが教育「産業」の大々的なマーケティング戦略に過ぎない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/abb31e030e62b94f02bbca1155497216cf657288,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]