【事件概要】
2025年8月6日、戦後80年を迎えるにあたり、石破総理が記念談話を出すかが国会などで議論されている。4日の衆議院予算委員会で立憲民主党の野田代表が「何らかのコメントは出すべき」と提言し、石破総理は「必要だと思っている」と答えた。
これに関し、関西テレビの番組で橋下徹氏は「出すべき」とし、特に軍幹部・政治家・メディアなど国内の責任を明確にすべきと主張。安倍元総理の70年談話では対外責任に焦点が当てられたが、国内責任は未検証のままであると批判した。
【コメント】
戦後80年という節目に至ってなお、日本国内における戦争責任の総括が未完了であるという現実は、極めて異常である。特に軍幹部や政治家、さらには当時の報道機関までが戦争遂行に加担しながら、戦後も責任を問われずに沈黙の中で生き延びた事実は、歴史の空白を意味する。
問題の根は、日本社会の「責任回避」と「空気支配」の文化にある。対外的な謝罪や反省には一定の枠組みが整備されたが、国内における責任の所在、特に組織的・構造的な加担と沈黙についての検証は避けられてきた。この回避が、今日の政治的無責任体質やメディアの機能不全にもつながっている。
解決には、①有識者による第三者機関を設け、軍や政府の戦争責任を再検証する、②報道機関に対し歴史的役割の総括と情報開示を促す、③教育現場で「国内の責任」を含む近代史教育を強化する、の三点が急務だ。
歴史の継承とは、過ちに蓋をすることではない。過去に向き合う誠実さがなければ、未来に誇れる国家像は築けない。責任なき80年の沈黙に、今こそ終止符を打つべきだ。
ネットからのコメント
1、選挙の責任は取らない、防衛省の大臣時代に部下の自衛隊をイラクに派遣しても現地に出向くことはしません、先のG7では椅子に座り各国の首脳と握手する方です。
その資格有りませんと思います。
2、「軍幹部の責任」というが、軍が勝手に暴走したただけでこのような事態に至ったわけではない。日独伊三国防共協定や三国同盟を軍が勝手に締結したわけではない。日ソ不可侵条約も軍が結んで裏切られたわけではない。日米交渉が破局したのも軍が交渉した結果ではない。軍にも大いに責任はあるだろうが、当時の外務省の責任は軍と同等かそれ以上にあるのではないか?今も外務省は存在するので、今は無い軍に責任の多くを押し付けているのではないのか?これらは、歴史家が当時の外交文書をはじめとして研究し検証するものであって、政治家や元政治家が主観で主張すべきことではないと思う。
3、多く自民の保守派は談話は安倍談話で終わりにしたいと言っている。一部のネット民も80年談話は必要がないと言っている。そもそもだが、談話自体を出さなければいけなかったのか?村山談話から始まったが。談話には常にお詫びが入ってはいるが、橋下氏は今度は国内に向けて旧日本軍の責任にまで追求している。一体いつまで我が国は謝罪をしていかなければならないのか?もう必要が無いんじゃ無いのか?と思ってしまう。
我が国だって核を落とされた被害者だ。米国側が正式に謝罪をするのか?を踏まえても、談話自体を出す必要性が感じられない。時の政権によって、いくらでも解釈が違う訳だから、談話を出すよりも先の対戦の検証に精査。こちらに重きを置いてもらいたい。と思う。
4、「国内向けの責任っていうものが抜けてる」国内向けの責任とは日本国民に対して戦前の日本の行いを政府が詳細に説明するべきと言いたいのか?よく分からないが、そこまで言い出したら切りが無いし何より今後も10年毎に談話を出して行く必然性が感じられません。特に今の首相が首相なだけにどんな形であれあの人物に戦前や戦中や戦後の事を語られるのは不快しかありませんので断固反対です。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cbed39af039a5bcde11c48d6af52d1b009777ca6,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]