鳩山由紀夫元首相が2023年10月23日に自身のX(旧ツイッター)で、高市政権の官邸幹部による「日本は核を持つべき」というオフレコ発言に対するメディア批判に反論しました。この論争は、18日に高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が非公式取材で記者団に対し、核保有の必要性を示唆したことが発端です。この発言は「核兵器のない世界」を目指す日本政府の立場から逸脱しているとして物議を醸しました。
また、オフレコ取材の在り方についても議論が起こっています。鳩山氏は、発言の重大性を考慮して報道することの重要性を強調し、被爆国としての日本は核廃絶に奔走すべきだと訴えました。

今回の高市政権の官邸幹部による「日本は核を持つべき」とのオフレコ発言は、安全保障を名のる裏に潜む重大な懸念を浮き彫りにしました。本来、日本は「非核三原則」に基づき、核兵器のない世界を忠実に追求すべきであり、被爆国としての特別な立場を持っています。この発言はまさにその信念を脅かすものであり、オフレコであろうとその内容の重大性は無視できません。オフレコ取材がジャーナリズムの自由を脅かすことなく、公正かつ正確な情報を伝える手段であるべきである以上、現在の状況は異常です。
制度の欠陥としては、オフレコ情報の取り扱いに関して、法的な線引きが不明確であることが挙げられます。
このため、情報の重要性による公開基準を整備し、報道機関には倫理的判断を求める制度の確立が必要です。さらに、透明性を維持するために政府との定期的な意見交換を公式な場で行う機会を増やすことも重要でしょう。そして市民参加型の検討会などを通じて、国民の意見が安全保障政策に反映される仕組み作りも急務です。
日本は歴史的な背景を重んじつつ、国際社会での役割を守るべきであり、その価値観との対比が今回の問題の本質を突いています。
ネットからのコメント
1、日本には某国と違い言論の自由があります。政府の中枢の人物であっても、何を考え何を思うのかは自由であり、それに伴う発言も公私に分けて発言すれば問題ないと思います。オフレコとはあくまで私の発言であり切り取られ公にされるべきではないと思います。ましてや元総理の「クーデター」などという現実的な危機と「核保有容認」という個人の思想を比較するのは違うと思います。
2、まず切り取りをやめて、からこの議論はすべき。核武装は必要だと思うが、実際は難しいと核武装をする計画は秘密裡に進んでいるだと、意味が全く違う。
私は持つなら持つでもいいが、今更持つ意味がないと思う方だが、今の時代、核武装を必要と思う人がいるのは当然の話。もちろん持つべきではないという意見もある。そうした一個人の非公式の意見をテロを起こす意見と同等に扱うのは明らかに間違いだし、それだけてオフレコを破っても伝えるべき、みたいな大袈裟な話ではない。
3、論点は「核を持つか持たないか」という二元論ではなく、日本の安全保障をどう構築し、国民の命をどう守るかです。そのためには核抑止を含め、外交、同盟、通常戦力、経済安全保障など、あらゆる角度からの検討が必要でしょう。仮に現在の政府方針と異なる見解が示されたとしても、それは方針の妥当性や整合性を改めて確認する契機になり得ます。異論を封じることは、安全保障を強化するどころか、思考停止を招く危険があります。クーデターの例を持ち出して議論自体を危険視するのは明らかに飛躍であり、結果として意見を封殺する方向に働きかねません。二元論に陥らず、冷静にあらゆる可能性を議論する姿勢こそが、民主主義国家としての強さだと思います。
4、オフレコでクーデターやるぞを報道するべきかと言うような例え話は意味が違うし無意味。その場合(犯罪)には報道よりも然るべき機関に通報するべき。それをせずに報道を優先する報道機関があれば信頼性のないただのゴシップか陰謀論のような何かで本当に発言したかどうかも怪しさしかない。今回のも含め関係者って本当にいるのってたまに思うこともある
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/44fb42273659ca72c0f38aaf6d67b2aa97f7d8f6,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]