1944年11月21日、熊本市西区花園で柿原空襲が発生、約500キロの爆弾が投下され、4人が犠牲となりました。当時8歳の津下環さんは、家が爆弾の直撃により倒壊し、祖母といとこが亡くなる様子を目撃しました。津下さんは、自身も瀕死の重傷を負うも一命を取り留めました。戦争後、彼女はこの悲劇を心に秘めていましたが、最近では「後世に伝える意義」を見出し、若い世代に体験を語り始めています。
津下さんは現在も同じ地で生活し続け、戦争の悲惨さと平和の重要性を伝える活動を行っています。
このストーリーは、痛ましい個人の体験を通して戦争の悲惨さを再確認させるものです。津下さんのような多くの戦争体験者の物語は、私たちに戦争の不条理や悲しみを理解させるだけでなく、平和の価値を再考させます。戦争の影響を受けた全ての個人の痛みを忘れずに、平和な未来を築くことが重要です。津下さんのメッセージを次世代に伝えることは、彼らが同じ過ちを繰り返さないための重要な教訓となり、過去の悲劇を学び、共に平和を守るための原動力となるでしょう。
ネットからのコメント
1、ほんの80年前にいまのウクライナやガザのような世界がこの日本でも繰り広げられて、空襲によって民間人だけで40万人も殺されている。他所の国の紛争は他人ごとのように見えてしまうが、我が国でもこのような地獄絵図が日本中で起きていたことは忘れてはならないし、二度とこの様なことが起きないようにしなければならない。我が子にこのような体験は絶対にしてほしくないと心底思う。
2、10代の意見として、80年前、これは他人事ではないのです。祖父母や曽祖父が体験している地獄です。
現に私達もいつこのような状況に陥るか分かりません。私が小学生の頃ははだしのゲンや火垂るの墓など、戦争をテーマにした本がたくさん置いてあり、夏になるとよくポスターで掲示されてました。実際友達と一緒に図書室へ足を運び一緒に読むなどしていました。今ではどうでしょう。視聴率の低迷や視聴者の関心の無さから地上波で放送されない、過激な表現があるため制限がかけられる。戦争を経験した方々が少なくなっている今、より戦争への関心を高めるためにはこのような制限があってはならないと思います。歴史を繋ぐ名作を、日本の過ちを、次の世代へ紡ぐことが私たちにできること。戦争に関する資料館は全国各地にあります。実際に足を運ぶことで初めて感じるものもあります。夏休みのたった一日、たった半日を大切な学びに費やしてみてはいかがですか
3、こうやって80年間も「原爆」「空襲」が取り出され続けても米国に対する恨みとしては語られない。世界でも稀な日本社会。80年間の大変な思い違いや極端な思想的偏りがあることに気づき始めた今、新しい日本に期待する。「あやまち」も「くりかえさない」のも両者が語るべきこと。
それを一方的に「日本が悪かった」とした米国の占領政策、中国・韓国による国民教育が今も日本を虐げていることをもっと広く認知するべきだ。それが戦後80年の本当の意味。
4、悲惨な戦争を2度と起こさない為に自衛隊や警察があります。9条があるから日本は侵略しないけど、ウクライナを見れば明らかのように侵略されることはあります。侵略されない為に頑張っている自衛隊を憲法違反呼ばわりする学者や団体があることは変えなければなりません。一刻も早く国家国民を護ることを禁じた占領憲法を破棄して国家国民を護れるようにする必要があります。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8e40dd6c80eb28b339364b274c0c16a7b2a21b0c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]