【事件概要】
2025年8月6日、広島は被爆から80年を迎え、平和記念公園で平和記念式典が行われた。広島県知事・湯崎英彦氏は挨拶の中で、核抑止の限界と危険性に言及し、核兵器廃絶の現実的可能性を訴えた。核抑止が歴史的に破られてきたこと、また年間14兆円以上が維持費に費やされている現状を批判し、その資源を新たな安全保障の構築に使うべきと提案。
式典では、戦争と暴力の支配に警鐘を鳴らしつつ、世界の平和と再生に向けた粘り強い努力を呼びかけた。
【コメント】
「国守りて山河なし」――この言葉が突きつけるのは、抑止という名の幻想だ。広島が体験した地獄を経て80年、なお核抑止が“現実的な安全保障”として語られていることこそ異常である。抑止は心理的構造物にすぎず、歴史上繰り返し破綻してきた。誤解、暴走、偶発的な誤作動。その一度の破綻が、人類全体を取り返しのつかない破滅へ導く危険性を我々は直視すべきだ。
問題の根は、国家安全保障を“力の均衡”に頼り続ける構造にある。これを変えるためには、①核軍縮に関する国際的な協定の再構築、②核抑止以外の防衛戦略に関する研究投資、③市民レベルでの教育と世論形成の強化が必要だ。
14兆円という資金は、破壊の準備ではなく、平和構築の礎にこそ使われるべきだ。
人間性を支えるのは、恐怖ではなく希望である。瓦礫の中から這い出た命が教えてくれたその事実を、我々は今こそ胸に刻む時だ。
ネットからのコメント
1、悔悟、という言葉があります。ただ悔やむのではない、そこから悟ること。これを、後ろ向きな言葉と捉えてはいけません。私たちの仕事などでも、「PDCAサイクル」なんて言いますが、CからAに移る道筋、これは、厳しいけれど、前向きな思いなんです。車に例えたらわかります。速い車こそ、しっかりしたブレーキが必要、教習所や免許センターでは、事故の怖さを学びますよね。ブレーキ性能やこの学びを、後ろ向きと排する人はあまりいません。私は、核武装に積極的な人の考えを否定はしませんが、その人たちの中に、こうした悔悟はあるでしょうか?悲惨な史実や、その危険に目を向けない、それで積極的な考えになっている人はいませんか?国守って山河なし、いや、国守って惨禍ありそんな事態だけは避けたい、だから、いろんな考えの人はいてもいいけど、史実や危険からは目を背けないでほしい。
2、難しいところだが、唯一の被爆国として核廃絶を日本がリードして訴えなければならないと私は思う。周りを核保有国に囲まれているという状況で核保有が必要じゃないかという理屈も理解できる。しかし、それでも武器を捨てて平和を呼びかけるということをどこかがやらないと、真の平和にはならないのではないか。とはいえ、日本もアメリカの核の傘に入りながら、核廃絶しろというのもおかしな話だし、真剣に議論する時期に来ていると思います。
3、言わざるを得ない立場と理解はしてるけど、それでも世界中が日本や、その中の一つの地方都市に過ぎない広島の言うことを気にするはずがない。理想は核廃絶だけど理想論にすがって失敗する訳にもいかないから、現実路線も準備するのが国や地方のリーダーの仕事。抑止なんて意味ない廃絶だーって言っても何も変わらないし、そこは建設的に究極の理想系に向けて進めてほしいけどな
4、「盗む人なんていないだろう」と若い頃に財布を出しっぱなしにしていて、老練な大工さんに「普段は盗まなくても、手の届く場所にあったら魔が差す人がいる。
そういう人の為にも見えるところに置いちゃダメだ。」と言われた。それは正しいと思っている。だからこそ、核兵器廃絶という理想を持った上で、日本は核武装すべきだと思っている。何故なら核武装した山賊が周りに沢山いるから。「相手に手を出させない」のは非常に重要な事です。相手を泥棒にしない為に、自分がしっかりと自衛するのが大切。「お前が無防備だから泥棒しちゃったんだ。俺は悪くない。」というのが海外標準ルールだと思った方が良いです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/7d0a01770070e74cbdf943999ceac982094733fb,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]