元宝塚歌劇団の女優、毬谷友子氏がSNSで娘の急逝を報告した父親への批判に怒りを表明した。21日にX(旧Twitter)を更新し、1998年に亡くなった父、矢代静一氏を振り返った。あるユーザーが娘の死を報告した際、多くの人々から死因を書いていないと批判されたことが物議を醸している。父親は急性心不全と改めて伝え謝罪したが、毬谷は「他者への想像力を失った世の中」を憂慮した。
自身も父親を急性心不全で亡くし、混乱していた経験を共有し、「突然の死別」が心の準備を困難にすることを語った。
悲しみや混乱に共感します。急な死別は、心が準備できていない状態で訪れるため、深い悲しみと混乱を引き起こすことは非常に理解できます。責任感から、情報を提供することを強制される父親の苦悩は、心に余裕がない時には不合理に思えることがあります。私も、突然の死別を経験し、痛みと向き合うことが難しかった時間を思い返します。このような状況では、愛する者を失った人々が対処するために時間をくださいと願わずにはいられません。最も必要なのは批判ではなく、彼らの心が少しでも安らかになるように寄り添う温かさです。時間と共に癒されることで、新しい希望が訪れる日が来ることを信じています。
ネットからのコメント
1、世の中が、自分の思い通りのストーリーや想定内の動きから外れると、それが異常な事のように過剰に反応してしまう人は、困ったもの。もともと、世の中は自分に都合よくはできていないので、他人や物事が、自分に想定通りに動くわけなんてないのに、それでも自分のストーリー優先な人は、そういう自分の思考法にこそ問題がある事を認識してもらいたい。自分にとっての普通やこうあるべきを、他人に求めたがるのは駄目な事なのだと理解してほしい。もちろん、あまりにも非常識であったり犯罪に類するものであれば、それを追求するのはありだけれど。そうではなく、人によって千差万別な事柄に対してまで、それを求めたがるのは、自分基準で考え過ぎる視野の狭さが原因。自分基準や自分の感覚というものは、世の中の常識でも当たり前でもなく、あくまでも自分だけに通用するものである。他人は自分とは異なる存在なのだから。
2、SNSに投稿した父親を早速責めにくる想像力の足りない子が湧いてます。娘の友人に広く「とり急ぎ」で知らせるならアリでしょ。父親の知らないつながりでも娘にとって重要な人がいるかもしれないじゃん。
投稿を見た誰かが別の共通の知人に伝えてくれるかもしれないじゃん。もしかして、娘のアドレス帳や職場、学校、卒アルを調べ上げて電話と手紙で知らせろって思うの?通夜や告別式は正式に伝えるのがいいかもしれないが、せめて娘を知る人にとり急ぎ伝えるならSNSでもいいでしょ。まさか、父親が「みんなのお悔やみでバズらせようとしてる」とか思うのかな?
3、ここ一年での、私が感じたヤフコメの流れを列挙する・選挙などを通じて特定のネット民(誹謗中傷などを正当化するタイプ)の意見が強くなる・傾向に絶望感を感じた人々が別な媒体に移住する・誹謗中傷があってもその個人のせいと断じる大合唱が通用するようになる・事実ではないことも多数決で事実とされる今回のコメントを見ていても、その傾向が感じられる。賛否の数で印象を操作できる巣窟「ヤフコメ」への風当たりを強くしていくべき時代がきていると思っている。
4、気が動転して故人の知人に広く知らせようとSNS活用したい人もいるだろう。誰にも教えたくない、と思う人もいる。どちらが正解とは簡単に言えない
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/b18f797d8feac3a40e61b800bdf360de3961993e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]