1945年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦、11日に南樺太へ侵攻し約2週間の地上戦が発生。混乱の中、日本人は朝鮮人にスパイ容疑をかけ、8月15日から9月初旬にかけ各地で虐殺事件が発生。既知の上敷香事件(17日、18人死亡)、瑞穂事件(20~25日、27人死亡)に加え、新たに鵜城事件(15日、銃殺・銃剣刺し)や散頃事件(15日・9月初旬、銃殺)が判明。
資料は2019年に開示請求、2021年入手、2024年に論文発表で明らかになった。
戦時下の狂気は、制度と思想の歪みが極限で噴出した結果だ。植民地支配と軍国主義は、隣人を一夜にして「敵」に変える土壌を作った。情報の精査や法的手続きは放棄され、デマと恐怖が武力と結びつき、無辜の命が奪われた。この構造を断ち切るには、第一に歴史資料の完全開示と多角的検証、第二に戦時中の民間人保護に関する国際法の徹底教育、第三に差別扇動を即時抑止できる国内法の強化が不可欠だ。人間社会は恐怖の連鎖を選ぶか、相互信頼を基盤にするかで文明の価値を決める。歴史は後者を選ばぬ代償がいかに高いかを、血で刻んでいる。
ネットからのコメント
1、なんでもありの、混乱した恐ろしい時期。戦争終結後も旧日本領ではロシア、中国、朝鮮、インドネシア諸国などではまだ戦闘が続いていた。
日米の形式的な終戦は1945年8月15日でも、太平洋戦争は、まだまだ終焉の途に着いていなかった。北からの裏切り者ロシアの侵攻も当時の日本では相当脅威だったと思う。今、こうして日本が日本人の社会になっていることに感謝したいと思う。
2、最後の教授さんのコメントが全てでしょうね。敗戦、撤退という極限状態の中で人がどこまで冷静でいられるか。プーチンも我々ヤフコメ民も体験してみないとわかりません。そしてこれはソ連側の史料。彼の国が客観的な公表をするわけもなくて。ソ連軍による虐殺を日本人に転嫁させてる事例もあろう。
3、極限時なのでそういうことは各所あっただろう。しかしソ連の史料ということで、相当割り引いて判断せざるを得ない。侵攻を正当化するバイアスが掛かっている。ましてや戦闘終了後のこととあれば、なおさら。占領を円滑にするため自身の戦争犯罪行為責任転嫁も平然となされたことは、今のロシアを見れば容易に想像はつく。
4、ほぼ同時期に起きた中国共産党による日本人大虐殺(通化事件)も風化させてはいけないと思います。なぜ、通州事件や通化事件などの事件が日本の歴史教科書には載っていないのか不思議です。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/33002f440ba01f0e3cbcf4b955310fcefa1ef93b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]