映画「国宝」が公開から73日で興行収入105億円を突破し、実写邦画の歴代3位の収益を達成した。映画は歌舞伎を中心に描かれており、配給は東宝が担当する。これに関し、歌舞伎の興行を伝統的に担っている松竹が配給していないことを業界関係者は疑問視しているとの声がある。松竹は、歌舞伎座や歌舞伎俳優との契約を多数持ち、「歌舞伎」の商標も保有している。
しかし、映画においては松竹が本格的に関与することを避けたため結果的に東宝が選ばれ、広範囲での上映が功を奏し興行的な成功を収めた。
映画「国宝」が松竹でなく東宝によって配給されたことは、歌舞伎といえば松竹という業界の伝統に対する挑戦と受け取ることができる。配給の決定は様々な要因を含むが、松竹が映画から大きな利益を得られない状況にあるのは問題の根本である。ここで考え直すべきは、彼らが持つ文化資産の有効活用の方法である。まず、松竹は自身の持つ伝統的な強みを活かして映画コンテンツの企画・制作に関わるべきだ。また、より多くの劇場と協力し広く映画を展開するための戦略を構築する必要がある。さらに、若者層へのリーチを強化するため、デジタルプラットフォームでのプロモーションを活用すべきだ。こうした手法を通じて、歌舞伎の魅力を広めつつ、新たな収益モデルの確立を目指すことが求められる。
伝統と現代のバランスを取りつつ、歌舞伎という日本の重要な文化を次世代に継承する道を探るべきだ。
ネットからのコメント
1、松竹が歯ぎしりしているかとうかは分かりませんが、普段から歌舞伎を観る者にとっても面白かったのは間違いないです。ただ主演二人の歌舞伎役者としての芝居よりもその後ろで支えている後見や舞台裏の方に目がいきました。客席からは決して見る事のできない角度からの舞台、体力や体幹を必要とする舞踊の稽古風景、これらを見られただけでもこの映画を観る価値はあると思いました。
2、映画が良すぎて原作を読みました。李監督、よくあれほど重厚で濃い人間模様をバッサリ切って、アレンジも加えてあそこまでの映画に昇華させたなー!と感心するばかりです。原作では、喜久雄を取り巻く人物がもっといて、喜久雄の人生も、周りとの関係性ももっと紆余曲折ある。でもそれをバッサリ切って、俊介との関係にフォーカスさせ、しかもそれを2人の演舞で表現させるって凄過ぎる。やり切った吉沢亮くんと横浜流星くんには本当に脱帽。あの2人の完成度があれほどじゃなかったら、きっと違う脚本になってたと思う。
こんなに素晴らしい映画を残してくださりありがとう!!という気持ちでいっぱい
3、もし本当の歌舞伎役者さんが演じていたら、それは観る者からすればその歌舞伎役者の物語になってしまうわけで、喜久雄の物語ではなくなる。そしていろんなしがらみが出てきそうなのでこれが正解だったのだと思います。次はこれを機に歌舞伎役者、松竹さんが如何にして歌舞伎を盛り上げていくか。相乗効果になれば尚良しですね。
4、もし配給が松竹だったらこうはならなかったとは思う。ただ松竹が手掛けていたら現役の歌舞伎役者を主要キャストや歌舞伎の演目などでも使えて歌舞伎座も撮影で使えたかもしれない。とはいえ東宝と松竹はカラーが違うので、作品自体の仕上がりが全く違っていたろうし、もし松竹が手掛けていたらこのような作品にもなってなかったし、あとは会社そのものの大きさというのか、予算とか公開規模とか諸々で東宝には現状太刀打ちできないからなぁ。松竹が複雑な思いでいるのはわからないでもないけど、映画による波及効果は期待できるから、それを上手く活かせるかどうかは松竹の腕の見せ所なのでは?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8ce49fe36f2082523acb17d807c0de9b051e20df,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]