橋下徹氏が生放送で反論した事件は、16日付の産経新聞の記事に起因しています。記事は「維新の会で橋下氏が『院政』を敷いている」という見出しで、党内での橋下氏への反発が強まっている様子を報じました。これに対し、橋下氏は18日のテレビ番組出演時に「実権なんて持っていないし、院政なんてできるわけない」と強く否定。橋下氏は既に維新を辞めており、党籍も持たない立場で、産経新聞の記事が彼の意見のごく一部を取り上げていることに抗議しました。
「X(旧Twitter)」上での反論に対して、産経新聞からの反応はまだないとし、「産経新聞、見てないでしょ」との自虐的発言も行っています。
この内容に基づくコメントは以下の通りです:
一部のメディアによる橋下徹氏への偏った報道は、ジャーナリズムの健全性を問い直す必要があります。橋下氏自身が指摘したように、彼は維新の会を既に辞めており、党内での「院政」を敷いているという見方は事実に基づかないと反論しています。このような報道が生まれる背景には、専門家に対する適切な調査や確認の欠如、およびセンセーショナルなタイトルで読者の関心を引く手法があると言えます。メディアは特定の人物やグループを一方的に攻撃せず、公正な報道に努めるべきです。そのためには、ファクトチェックや多角的な視点からの情報収集が必要となります。
メディアを信頼している人々にとって、その影響力は大きく、誤情報を拡散すると社会的な混乱を招く恐れがあることを忘れてはなりません。真に公正なジャーナリズムが求められ、私たちはそれを実現するために努力する責任があります。
ネットからのコメント
1、やはり他のコメンテーターの人達とは決定的に立場が違うと思うし、そういう認識を全く感じさせられないのが「院政」とまで言われてしまう根本的な原因であると思います。橋下さん自身がまずはそう思って、政治の話とは一切の距離を置くのが無難ではないのでしょうか?。もちろん犯罪者や外国人でもない限りは、普通に日本人の一人として政治的発言は自由にされていい権利はあります。しかし、政治の話や現役維新の人達との仲の良さなどの話を今でも出すなど、それらとの距離を置かない限りはここに至るまでの経緯や経歴と、その発言などを全て積み重ねて見れば、院政くらいは言われてても仕方がないし、確かにそういう言葉で言われてみればしっくりきてしまいはします。
2、橋本さんはテレビメディアが求める「コメンテーター」の役割を忠実に演じておられると思っていました。
ですが、最近の様子を見ていると「害」の方が大きくなっているように感じます。叶うなら、やしきたかじんさんの気持ちを受けて、政治家を志したときの自分自身を今一度、思い出してもらいたいです。たかじんさんや三宅さんは、今のあなたの姿・言動を望んでおられたでしょうか。
3、その昔、絶対1000%選挙に出ませんと言っていたにもかかわらず、大阪府知事になった橋下徹。ワイドショーで批判され「この小銭稼ぎが」と蔑んでいたのに、今はそのコメンテーターとなって小銭を稼ぎまくっている橋下徹。「今後は弁護士に専念します」と言っていたのに、いつの間にかコメンテーターになって、政治的な話を上から目線で話す橋下徹。どこをどう考えても橋下徹を私は信用できません。
4、橋下氏は、院政ではないと言ってますが、話の中にいつも言ってることが、私が維新を立ち上げた時と、今は真逆な事になっていると言っている。つまり私が立ち上げた意図が組まれていない。こんな維新はがっかりだと。本来の維新に戻るべきだ と言わんがごとき。橋下氏が辞めて党員でなければ、それは内政干渉。
時代とともに大きな基幹は変わらなくても、少しづつ変化していくもの。一緒に立ち上げた当時の委員はそれを聞いてついつい忖度してしまう。これを院政でないと言えるのだろうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/397a6cf7176eea154d0513de8a033e4e2628b2b2,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]