2004年6月、長崎県佐世保市で小学6年生同級生による殺害事件が発生。被害者の兄、当時中学3年生の御手洗さんは長崎市での講演で、事件直後の心境と行動を語った。妹の死を電話で知った彼は、動揺する父を見て「この人は妹の後を追って死ぬかもしれない」と考え、自らの感情を封じ、周囲に笑顔を見せることを決意した。家族と共に大村市に移り、妹の遺体と対面。
父親は新聞記者として矢面に立ち、家族に取材が及ぶのを防ごうとしたが、御手洗さんには伝わらず、父の不在に疑問を抱いた。学校への復帰が内部異常の隠れ蓑となり、結局、1年後に心と体が崩壊する結果となった。

御手洗さんが経験したこの悲劇は、深い理解と共感をもって受け止められるべきです。妹さんの突然の死は、想像を絶する喪失感をもたらしましたし、彼がその後抱えた重圧は計り知れません。このような状況下で「笑顔」を選んだのは、もしかすれば周囲を心配させたくないという優しさから来たものだったのかもしれません。しかし、感情を抑え込むことは、心の健康に決して良い影響を及ぼしません。その後、1年後に心と体が崩壊したという事実からも分かるように、彼は精一杯の力を尽くしてきたのです。この経験を風化させることなく、心の傷を抱える人への理解と支援の必要性を私たち一人一人が学ぶことが大切です。
また、どのような状況であれ、心のケアの重要性を忘れずに、支え合える社会を築いていくことが、彼への最大の励ましとして未来に繋がると思います。
ネットからのコメント
1、後半まで全て読んだ。なぜ加害者はいまだに謝罪ひとつすらしないのか?もう出所して15年以上、謝罪もせずおそらく反省もせず。そのへんで涼しい顔して生活している可能性が高く、本当に気持ち悪い。このお兄さんが聡明で非常に頑張り屋なために苦しい日々を送っているのが気の毒だし理不尽すぎる。
2、あまり触れられてないけど、妹が殺される3年前には母親をガンで亡くしている。父親はテレビで事件に関して説明を続ける日々。父親自身も相当辛い。どうして周りの大人はそんな時にもっとこのお兄さんに注意を向けてあげなかったんだろうか。家族を亡くすこと自体が耐え難い悲しみなのに、ずっと傍で慰めてくれる人すら居ない。高校に進学したけど保健室登校を続けたせいで出席日数が足りなくなり中退。もっと国や自治体が犯罪被害者だけでなくその家族を守る仕組みが必要だと思う。
3、確か更生施設みたいな所に入所中も精神の改善というか更生というかそのような意識の様子がみられなかったので入所していられる最大の年齢まで居たみたいですね。
でも入所の期限があるので強制的に世に放たれたとか。日々通り過ぎる人が人殺しの更生せずその人の可能性があるのは怖すぎますね…
4、「謝るなら、いつでもおいで」という本に、2人のお兄さんがどのように事件を受け止め、その後どのように生きたかが描かれています。2番目のお兄さん(次男)は妹さんと仲が良く、加害者のことも良く知っていたのですよね。「謝るなら、いつでもおいで」という言葉は、次男さんの口から出てきたものだったと思います。これを読んだとき、いったいどういう境地でこんな言葉が出るのだろうと静かな衝撃を受けました。この本が出てから10年以上経った「その後」が、この記事なのですね。謝りに来なかったのですね。まあそうだろうと思いますけれど・・・。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/68229d1fdf8fc372dae1b269898eaed5fa0f7e9a,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]