広陵高校の野球部が第107回全国高校野球選手権大会への出場を辞退した問題が話題となっています。暴力行為を巡る事案がSNSで拡散し、高野連は出場判断に変更はないとしていたものの、広陵の選手や関係者に対する誹謗中傷が過熱し、その結果、学校への爆破予告も発生。これにより堀校長が初戦勝利後に辞退を発表しました。第三者委員会による調査が行われているものの、被害を受けた生徒の救済や学校の対応に対する疑問が指摘されています。
浜田敬子氏は勝利至上主義の背景を問題視し、教育現場での暴力根絶が重要との意見を述べています。
この事件は、根深い問題を浮き彫りにしています。まず、連帯責任としてチーム全体がペナルティを受けるという制度は、個々の責任を曖昧にし、問題の本質を覆い隠します。集団の暴力が発生した場合、特に上級生から下級生への体罰は、教育の場で絶対に許されない行為です。制度の欠陥として、高野連が適切な報告を受け、柔軟な対応をすることが必要です。具体的には、暴力行為に対する迅速な対応マニュアルの作成、生徒に対する適切な心理支援の提供、そして、長期的にはスポーツ界全体での価値観の転換が求められます。勝利至上主義がもたらす弊害を認識し、高校野球が教育の一環として機能するには、暴力の根絶に向けた実行力のある改革が必須です。
これがなされなければ、ただ勝つために暴力が黙認される文化は続いてしまうでしょう。
ネットからのコメント
1、監督は進路先を優遇できる絶大な力を持ち、その力に群がって選手が集まる。その力はレギュラーではない選手の進路をも優遇できる。そして、何か問題が表面化すれば、進路先が危うくなるので、選手、保護者たちが口を噤む。悪い場合にはもみ消す。諸悪の根源は、勝利至上主義と、推薦制度である。監督の中には(多くは)部活は人間教育である等との賜っているが、この状況で逆らう生徒は居るわけがなく、バカ丁寧な挨拶やレギュラー以外の多くの生徒の奉仕活動で、さらに評判をあげる。絶大な権力をバックにしているからこそ無せる技で、選手も評判が上がれば自分の進路が安泰になるため、積極的に協力をする。全国の多くの教員たちが、不安定な心の生徒と向き合い、心を削りながら取り組んでいる教育とは別物で、指導者連中には教育を舐めるな。教育を語るなと言いたい。
2、なんとも不思議なのは、被害選手が転校しなければならないほど 深い傷を負ったのに その選手達を管理していた管理者の責任が軽いのは何故なんでしょう。
高校生くらいの時期は食べても食べても直ぐにすきっ腹になる。誰しもが経験したのではないでしょうか。ハッキリ言えばたかだかカップ麺を食べただけで たとえルールを破ったとしても暴力をするほどでもないと思うのだが。
3、勝利至上主義というか、野球の名門としての野球界などとのパスや地位を守るための、権力に溺れたがゆえのアクションに見える。加えて高野連や朝日新聞も、地位や名誉を守るためにイレギュラーを排除し、被害生徒の意見を黙殺していたのではないか。今回は広陵の悪手もあってこれだけ大事になっているが、同様の問題を抱える学校は他にもあるだろうと思っている。
4、SNSでの誹謗中傷といってるけど、多くは被害者生徒に寄り添った発言が多かったように思う。加害者や監督などの指導者に対する批判が誹謗中傷と捉えられるのであれば大きな間違いだし、そのように考える学校だったからこういうことが起きたんだと感じた。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5829d83a947293654989d39e8e655d87d611da10,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]