堀江貴文さんが自身の料理エッセイ本で、刑務所での食体験を通じて「味覚は環境に影響される」ことについて語りました。彼は、長野刑務所での生活の中で、甘いものが苦手だったにもかかわらず、提供された甘い煮豆やぜんざいを楽しむようになり、苦手だった納豆まで完食するようになりました。特に祝日に出されるおやつ「特食」としての普通の市販チョコレートが、日常の質素な食事の中で圧倒的な美味しさを感じさせました。
また、炎天下で運動後に飲む冷たい麦茶の美味しさは、ドンペリを超えると感じたほどです。彼はこの経験を通じて、味覚が絶対的ではなく相対的であることを実感しました。

堀江氏の体験から、環境が味覚に与える影響について考えさせられます。閉鎖的な空間や単調な日々が創り出す味の変化は、私たちの普段の生活で見落としがちな要素かもしれません。この話から、人間の感覚がどれほど環境に依存するかを改めて認識し、食材や調理法だけでなく、食事の演出や体験の重要性を再考する必要があると感じます。食事に内包されたストーリーや体験が、味の記憶に残り続けるという点は、食文化全体への新たな示唆を与えてくれます。堀江氏の観点を活かし、日常の食事をより豊かなものにするための工夫を探求すべきでしょう。
ネットからのコメント
1、子供の頃、父の故郷の新潟県の山奥で、明け方から稲刈りを手伝った事がありました。
休憩時に梨が出されました。田んぼ横の梨の木から伯母がもいで稲刈りのカマでむいたものです。カマで!?とびっくりしましたが、その味は生涯忘れる事のない甘味と旨味の絶品でした。稲刈り機を入れられない田んぼの端っこの稲を汗だくになってカマで刈り続けたご褒美です。ホリエモンさんの話しでふと思い出しました。
2、外国人の超富裕層向けにド田舎に法外な値段の高級レストランを作るみたいなニュースがあったがそんなものは必要ない。そこの近所の稲刈り手伝わせて、昼に田んぼで新米のおにぎりと漬物と麦茶出してやればいい。
3、分かる!俺は刑務所の話では無いが小学生の林間学校で山登りの時に渡された弁当。山頂付近で休憩になって朝宿舎で渡された弁当、腹ペコで開けたら塩むすびときゅうりの塩揉みしか入って無かった。なんじゃこりぁ?って思いながら渋々食べだすと塩だけのおむすびの旨い事、おそらく食べた事が無いきゅうりの塩揉みの旨い事。普段だったら出されても箸を付けない。あれ以来きゅうりや茄子の漬物が食べれるようになった。旨いと言うのは感じる事だから置かれた状況やシュチエーションによるところが大きい。
あの味や感動は今も覚えている。
4、ビジネス論とか芸能人のスキャンダルについて語っている時は、ものすごくくだらないと思ってしまう時があっても、この人のこういう感性に心底感動する事があったりする。ホリエモンの一番売れた本にも刑務所生活での事がほんの少しだけど書かれていて、私はその文章でも彼の独特な感性に感動したのを未だに覚えている。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/272c3315f2726a3d886f4a169385585ee9584204,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]