1945年8月6日、広島市でアメリカによる原爆投下により、底押勝さん(87歳)は家族を失い、原爆孤児となりました。底押さんは広島市南区の竹屋町に住んでいたが、爆発当日、学校にいた際に強烈な光を浴び、負傷を免れました。その後、家族が行方不明となり、母は亡くなり、父と長兄も行方不明になりました。底押さんは伯母の家に預けられ、児童養護施設で育ちながら、戦後の厳しい生活を送ります。
その後、洋菓子店を開業し、60年を迎えました。原爆の惨禍とその後の過酷な生活を通じて、戦争の悲惨さと核の恐ろしさを訴えています。80年を経て、全国被爆者アンケートに参加し、戦争の悲劇が繰り返されないことを願っています。
このニュースは、広島の被爆者がその痛ましい経験を語り続けることで、核兵器の恐ろしさを伝え、戦争の無意味さを広める重要性を強調しています。
ネットからのコメント
1、読んでいて涙が出て抑えられませんでした。7歳と4歳と1歳の子供がいますが、この子たちが一度に親を亡くしたらどれだけの苦労をかけるだろうか、どれだけ悲しい思いをして、寂しい思いをするだろうかと想像すると堪えられませんでした。底押さんも幸いお姉さんが生き残って良かったですが、わずか7歳でご両親を亡くされ本当に辛かったことでしょう。想像することすらできないです。戦争とは本当に罪深い、決してやってはいけないことだと改めて思います。取材してこの話を知るきっかけを作ってくれたジャーナリストにも感謝です。
2、7歳で両親を亡くされるとは…。この記事を読んで改めて原爆の残酷さ、悲惨さが伝わりました。ですが、この方は本当に強い方だと思います。自分がこの方の立場だったら立ち直れないと思いますが、底押さんはその後しっかり働いて幸せな家庭を築いてますし、80歳を超えていまなお働いていることがとても素晴らしいなと思います。年々、原爆を経験された方々が減少していっているので、この方には貴重な被爆者としての経験を後世に語り継いでいってほしいと思います。
3、少年時代からこれほど苦しいけい経験をしているのにも関わらず、落ち込んでいても前を向いてストイックにここまで生きてこられたことが本当に尊敬します。そして原爆投下から80年、その半生を明かしていただいたことを本当に素晴らしいし、感謝です。本当にあと10年もすればこのような経験談を聞くこともできなくなる。日本へ向けてもそうですが、海外へ向けても発信していってほしい。これほど難しい国際情勢の中で、経験者のお話は本当に大きな意味を持つ。メディアの腕の見せどころだし、数少ない情報をしっかりと後世へ伝えられるようにしてほしいですね。
いくら核抑止力とはいえ、やはり突発的に手を出してしまう人がいるように絶対とはいえない。そのような人たちの核兵器の行使を防ぐためにも、核に依存しない世界を作るためにも地道な道だが、それを果たさなくてはいけないのは後世の私たち。
4、戦争は一瞬で庶民の人生を根底から奪うものだ。幼い命や家族の絆が理不尽に引き裂かれることがあってはいけない。底押さんの歩んできた道は、平和の尊さを深く教えてくれているものであり、どんなに時間が経っても、記憶と声を受け継いでいく必要があるだろう。過去を忘れず、同じ悲劇を二度と繰り返さないようにしなくてはならない。平和は当たり前ではなく、日本は強力な軍縮によって再び戦争をせず、平和を守り続けていかなくてはならない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/eb46350c57ea7e803c5cdffe1d4ced3561490ca0,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]