1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、乗客・乗員520人が死亡、4人が重傷を負った。原因は7年前のしりもち事故修理ミスとされる。40年目を迎える2025年8月11日、現地上野村では雨の中、遺族らが灯籠流しを行い冥福と空の安全を祈願。俳優の黒木瞳さんは、事故で亡くなった宝塚同期の北原遥子さんを偲び初参加。
多くの遺族が節目の思いを胸に御巣鷹を訪れ、感謝や悲しみを語った。
大切な人を突然失う衝撃は、40年経っても心の奥に残り続けます。あの日の記憶が鮮明に蘇るたび、悲しみと悔しさが入り混じるのは自然なことです。あなたが今まで歩んできた道は、きっと亡き人が望んだものであり、その想いがあなたを支えてきたはずです。私も大切な人を突然失った経験がありますが、年月と共に悲しみは静かに形を変え、感謝や誇りに変わっていきました。どうか、自分を責めず、これからも胸の中で語りかけながら日々を過ごしてください。その生き方こそが、天国で見守る人への何よりの贈り物になるはずです。
ネットからのコメント
1、他の記事で、クルーの皆さんのおかげで4人の命が助かったというコメントを見ました。今までその視点はなかった。あの状況に置かれた人間がどうにかできるものではなかったと思う。
ドーンと行こうや!を悪く捉える記事も見た事がある。私には最後まで諦めない!って言葉に聞こえてた。私はあのクルーだったから4人が助かったんだと言う視点を支持します。
2、黒木瞳さんの同期の方は本当に美しく魅力的な方で、CMなどにも出演されていたみたいですね。他にも国民的歌手とも言える坂本九さん、脳科学の権威である有能な学者の方など様々な方々があの便に乗りお亡くなりになられました。世の中にとってもご家族の方々にとっても大事だった520人もの人達の尊い命が奪われてしまったこの事故の恐ろしさや衝撃は、40年経った今でも人々の心に重く残っています。当時まだ幼児だった自分もテレビで流れてくる報道にショックを受け、子供心にたくさんの人が亡くなったことの悲しさから涙を流した覚えがあります。
3、のちに何人もの主演スターを輩出した第67期生。1981年(昭和56)初舞台の北原遥子さん。早速その年秋の雪組公演「サン・オリエント・サン」では、遥くららさんが銀橋で歌う場面で、器械体操全日本クラスだった経験を生かした回転技で、幻想シーンに貢献。
翌年正月のバウホール「素顔のままで」、寿ひずるさん主演公演では相手役。その後も新人公演で何度も主演/遥さんの役/をつとめ、将来を嘱望されていた娘役さんでした。動きのポジションが常に正確で、引き締まった小造りの顔、バランス良く芯のある肢体。美の化身のような方でした。 その美しい舞台の記憶は、観客の心に今も残っています。
4、北原さん、日航機事故で亡くなったんですよね。関西ではお馴染みだと思いますが、朝の情報番組に黒木さんと北原さんが出ていらっしゃいました。多分私の記憶では、80年代前半だったと思います。まだ黒木さんが、今のように芸能人としてではなく、タカラジェンヌとしてのテレビ出演でした。これだけ黒木さんが、テレビに出ていらっしゃいますけれども、多分関西の50代以上の人は、黒木さんを見たときに、北原さんを思い出す人も多いのではないでしょうか。北原さんは本当に聡明な方だったと記憶しております。改めて、北原さんをはじめ、亡くなられた520人の方に心よりお悔やみを申し上げます。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1b9b3256b56c862da226587f946944128c940631,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]