1985年8月12日、日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落し、520人が命を落とした。この事故で、埼玉県に住む小林由美子さん(66)は、21歳の弟・加藤博幸さんを失った。博幸さんはお笑い芸人を目指して活躍しており、テレビや雑誌にも登場していた。事故の前、最後に交わした電話で「8月15日に帰るからその時会おうね」と話していたが、それが最後の言葉となった。
小林さんは、事故後40年間、弟の遺品を直視できずにいたが、風化させたくないという思いから初めて手に取った。遺品の中で特に印象的だったのは、曲がった10円玉で、その形は事故の衝撃を物語っていた。小林さんは、事故を風化させず、命を乗せて運航する仕事をしている人々に、その思いを胸に運航してほしいと願っている。
小林さんの体験に胸が痛むばかりです。40年もの間、愛する弟を失った痛みと向き合い、遺品を手に取ることでようやくその現実を受け入れようとした気持ちは計り知れません。特に、弟が大切にしていた「1回笑うと嫌なこと1回なくなるよ」という言葉に込められた、前向きな姿勢に触れたとき、彼女が今もなお弟の記憶を胸に抱いて生きていることが伝わってきます。痛みを抱えながらも、その記憶を大切にする姿勢は私たちに深い感動を与えます。
どんなに時間が経っても、大切な人を思い続ける心がどれほど貴重で強いものかを感じました。
ネットからのコメント
1、もう40年なんですね。謎多き事故としても有名ですよね。なぜ米軍の救助を断ったのか、当時でもレーダーがあったにも関わらず墜落現場が二転三転してしまったのか、亡くなった経済アナリストの森永卓郎さんがこの事故だけは最大の謎だと言っていた。今更どうしようもないことだけど。私が中学生の頃の事故でほんと衝撃的だったし、これからもずっと語り継がれることだろう。改めて事故で亡くなった方々へ哀悼の意を表します。
2、遺品の中に、科学万博つくば'85のマスコット『コスモ星丸』のテレカが…。日航機墜落事故とちょうど同じ年に開催されて、犠牲者の中にはつくば博からの帰り客もいたはず。
3、この墜落事故で、阪神の社長や坂本九などの著名人の命も失われた。それにつくば万博の真っ最中だったのも有って、当時はネットも無かったし、実は起きてから大惨事を知った人も多かったとも聞いた。あれから40年、もっと発展した技術でもっと墜落原因を調べることもできるはず。
40年も経っても不明の部分も多い。そういったことも追及や新たなる発見をマスコミや新聞社にお願いしたい。
4、当時は小学6年でした。なので卒業アルバムに今年の出来事で卒業アルバムにこの事故が載ってます。忘れることはないですね。1回笑うと嫌なことが1回無くなる。その言葉、引き継がせていただきます。子供たちにその言葉を伝えたいです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d6bd4d5e160dad29cc7464a313bf316008d5451b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]