事件概要
戦艦「大和」は、1937年に広島県呉海軍工廠で建造が始まり、1941年に竣工した。日本海軍は、「絶対に負けない戦艦」として世界最大の46センチ砲を備えた「大和」を構想した。太平洋戦争開戦後、大和は連合艦隊の旗艦となり、航空戦力が主流となる中、戦艦の使い道に悩んだ。
戦後半には、沖縄特攻作戦に投入され、アメリカ軍の航空攻撃を受けて沈没。大和はその巨大さに見合う戦果を上げることなく終戦を迎えた。
コメント
戦艦「大和」の建造から運用に至るまで、日本海軍はその巨大戦艦をどのように活用すべきかを理解できていなかった。その問題は、単に戦艦の性能を誇示することにとどまらず、戦術や戦略における誤りが大きな要因となっている。航空戦の台頭を予測しながら、依然として戦艦による艦隊決戦を重視し続けた結果、最終的にはその能力を発揮することなく沈没した。
問題の本質は、「戦艦による決戦」という古い戦略に固執したことだ。大和の建造当初、世界の海軍はまだ戦艦を主力と考えていたが、航空機の戦力が急速に発展する中、海軍はその適応に失敗した。
解決策として、まず日本海軍は時代に即した新たな戦術を早期に模索すべきだった。航空戦力を強化し、艦隊運用をもっと柔軟にすべきだったのは明白だ。また、戦艦の力を抑止力として外交で活用する手段もあったはずだ。
戦艦「大和」の無用の長物という評価は、その存在意義を逆に際立たせ、戦術的な失敗をさらに際立たせた。
ネットからのコメント
1、ミッドウェー海戦で、航空戦力による敵基地への第一次攻撃の効果が不十分とされた時、初陣の大和の砲撃でとどめを刺していれば、その後の展開は大きく変わっていたはず。また、これによって戦艦の新たな使い方がはっきりし、陸軍上陸部隊への支援砲撃であれば、扶桑や山城の様な旧型戦艦でも有効とされて、ソロモン戦線で使われたかも。
2、大和型戦艦の使い方の誤りは、連合艦隊の旗艦にしたことだと思います。ネルソンも東郷も旗艦先頭で戦いましたが、第二次世界大戦では海軍の司令長官は陸上から指揮するようになりました。
大和型戦艦も連合艦隊司令長官が座乗することで、儀礼的な役割が日常的にあり、活用の邪魔だったに違いありません。なお、ソロモンの狭い海域の夜間戦闘で乱戦になったら、大和型でも比叡のように舵をやられて自沈したかもしれません。
3、大和型戦艦はアメリカやイギリスの高い技術と建造能力を熟知していたからこそ計画された戦艦。16インチ砲を上回る46センチ砲と対46センチ砲防御を備え、決戦距離での砲撃戦で撃ち勝つ事を目的に計画、建造されました。実際、帝国海軍が大和型2隻を建造したのに対してアメリカは16インチ砲搭載の新型戦艦8隻、イギリスも14インチ砲装備5隻、15インチ砲装備1隻の新型戦艦を建造していますからこの目論見自体には誤りはありませんでした。しかし実際の戦局は大和型戦艦にとって過酷。ソロモン諸島を巡る戦いでは練度と燃料の問題で前線に出せず、その後の戦いではアメリカ海軍の圧倒的な制空権の前に無力化。最後は昭和天皇の海軍にもう艦はないのか、との問いに震え上がり成功の見込み皆無の水上特攻で撃沈されてしまいました。
4、戦艦はじめ軍用艦は海上で2次元的にしか動けない戦力である。
陸軍も同じように地上という2次元的な戦場でしか活躍できない。戦闘機や爆撃機という物理空間を3次元的に移動できる空の武器は戦局を革命的に転回することができる。現に今の露-ウ戦争でも空から戦場を3次元的に認識できるドローンが戦いの主役を担っている。戦艦大和がアメリカの飛行機に轟沈されたのは2次元と3次元の戦いに敗れたからだと思っている。今後の戦争は3次元(空や宇宙空間の利用)を支配することができなければ勝利することができない。戦争勃発を望むわけではないが。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a2fcc12bd97e91a47df58f48ae2bcc7f8e9f9cbe,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]