長崎市での平和祈念式典において、93歳の西岡洋さんが被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げました。西岡さんは13歳で長崎市に原爆が投下された際、爆心地から約3.3kmの距離にある学校にいました。爆音とともに強烈な光を受けた後、数人の同級生がガラスで傷つき、西岡さんは無傷でしたが、学校周辺では多くの人々が負傷し、遺体が散乱していました。
戦後、西岡さんは被爆者として証言を続け、人工知能を活用した証言システムの開発にも携わっています。彼は核兵器使用に対する強い危機感を示し、平和の重要性を訴えました。
平和を訴える西岡さんの姿からは、過去の悲劇と共に、核兵器使用の恐ろしさが伝わります。
ネットからのコメント
1、被爆者や戦争体験者の「戦争はいけない」という気持ちは痛いほどわかる。実際に経験してきた人の言葉だから重みもある。でも戦争が始まってしまったら何もない日本は一瞬で蹂躙され焼け野原になる。戦争がいけないのはわかる。でも対抗手段を持たないといけないとは思う。戦うためじゃない。守るために。
2、核戦争のない世界は理想だし使ったら取り返しがつかない。ロシアがウクライナ侵攻して以降核兵器により国の安全を保とうとする「核抑止」を求める声がある一方で核軍縮への流れは停滞している。
多くの核兵器を持つ米国とロシアの核軍縮交渉はウクライナの問題もあり絶望的である。中国は逆に核戦力を増強している。英国は核弾頭数の上限を引き上げる方向に舵をきっている。核戦争のない世界の実現は難しい。
3、もちろん核兵器を無闇矢鱈に使うことは絶対に許されない。ただ世界に跋扈する不逞の輩がそれを握っている以上、その抑止力として、已む無きことながら、我々も同等の核兵器か、もしあるならばそれを凌駕するような武力を保有つことで、連中の不埒な行動を徹底的に抑え込まないといけない。理不尽・無慈悲に領土を奪われつつあるウクライナを見るにつけ、将来の平和を望むがゆえにその意を一層強くする。
4、核爆弾と核ミサイル、使えば終わる。確かにそうだろう、しかしその核兵器を持っている国は敗戦国の日本ではない。使うか使わないかを決めるのは、各戦勝国や近隣の他国である。使ったら全ておしまい。それは、日本が使われたら全てが終わるだけであって、アメリカが、北に打ち込んだとしても全ては終わらない。核保有国は打ち込んでも終わらない。打ち込まれれれば、どこの国も終わる。
使えば終わるのではなく、使われれば終わるのだ。使えば終わらない国に対し、使われれば終わる国が、どう説得する。酷く、人道的ではない酷い被害が出るから、使うことは間違っていると、使っても終わらない国、使われれても終わらない国に大して納得し要求を飲ませる事ができると思うのか。では使わないかように、お願いして上納金でも延々と払い続け、国の国民の命を買うのか?戦争を経験していたのなら敵国とはどれほど残忍かを知っているだろ
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f50f27ed5ba2239b110a8e32d40c8d6797cb8b99,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]