永橋爲茂さんは、太平洋戦争中に日本海軍の有力な砲術長を務めた人物です。彼が乗っていた戦艦武蔵は、アメリカ軍の攻撃を受けレイテ沖で沈没、多くの部下が命を落としました。戦後、永橋さんは家族と離れ広島県の大崎上島で孤独な生活を送り、新しい職務にも就きませんでした。彼が抱えた戦争の影響や、部下を失った深い悲しみが伺えます。家族には詳細を語らず、過去の資料の焼却を遺言しました。
彼の物語を辿る記者の娘は、戦争の悲劇とそれが個人に与える影響を伝えています。

永橋爲茂さんの人生は、戦争が一人の人間にどれほどの痛みと後悔をもたらすかを教えてくれます。彼の沈黙は、負わされた責任の重さを物語っているようです。家族を残し、一人離れて暮らすことを選んだ背景には、失った部下たちへの無念と自責の念があったのでしょう。自分の中だけでその辛さを消化しようとした彼の選択は、深い悲しみと悔しさを伴ったものに違いありません。そして、その選択が理解できるのは、彼と同じように戦争の重荷を感じた経験者だけかもしれません。悲しみや過去を忘れることはできなくても、それを通じて私たちは、未来に何を残すべきかを考えさせられます。永橋さんが残した、「何年かかっても、本当にやりたいことをやりなさい」という言葉は、深い後悔があるからこそ、次世代に向けた強いメッセージなのかもしれません。












ネットからのコメント
1、よく取材されたと思います。昭和も100年、戦後80年となり当時の歴史を掘り起こすのも年々大変になってきています。当時を生きた人々にすると思い出したくもない、苦しく、凄惨な、言葉では語り尽くせない時代だったと思います。しかし、だからこそ現在の僕らは当時の様子を学ばなければならないと思います。学校では教えてくれないので自ら学ばなければ忘れ去られる記憶となってしまいます。昔から日本では臭いものに蓋をせよと言いますが、口をつぐんで亡くなった方は多いのではないでしょうか。こうした記事は、とても貴重だと思います。
2、戦争の愚かさを知り戦争に対して本当に後悔した人だったのかと思います。だからこそ戦後は戦争に関わる仕事にはもう二度と就きたくなかったのでしょう。台湾有事がどうとか国会で騒いでいても戦場で実際に戦うのは自衛隊の人達です。命のやり取りとは日本の総理が言った言わないの問題でもないしポケットに手を突っ込んでメンツを保とうとすることでもないしレーダー照射などという子供の遊びでもないのだと改めて思いました。
3、非常に読み応えのある記事でした。戦争を体験した人はそれを語らない人も多い。私の祖父も太平洋戦争で兵隊でしたが、私が子供の頃に戦争時代の話は一切しなかった。ただ外国の戦争のニュースが流れるとボソッと戦争なんてするなと言っていたのは当時小学生の私の印象に残っています。アメリカ住み、アメリカ人の親友がイラク戦争に軍医として従事していましたが、無事帰ってきたとはいえPTSDに悩まされて帰還してから数年は外に出たがらずで内向的になっていました。色々話は聞いたけど、想像絶する過酷で残酷な話でした。
4、こういうしっかり取材した記事は、読み応えあるね。いろんな世代が触れるべき、大切な記憶、記録。今は考えなくても、後になって思い出して考える日が必ずくるから。そういうきっかけになったらいいな。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/47fce5a3fd084d6953a3eb2ae295a409e655aa7e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]